大和高原中南部の中世前期石造五輪塔について
一針薬師笠石仏について
無縫塔の受容と展開−京都近郊を忠心に−
伯耆の石造文化財の諸相
防長地域における無縫塔形式の変遷
卒都婆造立における覚鑁思想の意義−『卒都婆十種秘釈』をめぐって−
主尊の変容と板碑の身体−「紅頗梨色阿弥陀」板碑をめぐって−
虹色の陥穽
印度に於ける仏教以前の塔と其以後の塔
阿育王塔と迦膩色迦王塔
サンチーの諸塔とバルハットの塔婆
仏教々理史上より見たる塔婆
支那仏塔建築の様式と其変遷に就いて
支那六朝の石窟寺と法隆寺の塔
雲崗・龍門・天龍山石窟塔婆考
朝鮮塔婆の様式と変遷に就いて
我国に於ける塔形の種類と其の系統
我国に於ける卒都婆考
日本塔婆の様式と其の変遷に就いて
飛鳥・奈良両時代の塔婆と造塔思想
法隆寺五重塔の実状と一部復原的考察
法隆寺五重塔軸部の落ちの研究
法隆寺五重塔の高さに就いて
再び法隆寺五重塔心柱下空洞に就いて
薬師寺東塔建築の様式に就いて
王朝時代の造塔思想
塔を中心とする仏教様式に就いて
百万塔陀羅尼印造の思想上の背景
塔婆心礎の分類に就いて
日本塔婆表・朝鮮古塔表
板碑の問題
調査の概要
岡山県の板碑
岡山県の板碑
龍華山人に答ふ
栗原寺の露盤に就いて
南都七大寺塔婆の高さ
人倫大意
『七大寺巡礼私記』に現れた塔婆の記事
元興寺五重塔の高さ
東大寺東塔の落成年代
東大寺七重塔の高さに就いて
西大寺八角七重塔に就いて
当麻寺西塔に関する疑い
久米寺塔婆考
高野山根本大塔とその本尊
春日西塔と興福寺塔との関係
興福寺三重塔の焼失年代
十三重木造塔婆の造立例
円覚寺の華厳塔
建長寺華厳塔に就いて
延暦寺相輪?aの形成
西蓮寺相輪?aに就いて
重源上人の塔
宿業的身体の自覚と自然法爾
「摂大乗論」依慧学勝相品聴記
謎の建築・五重塔
中国の塔に心柱はなかった
韓国の塔の蘇塗柱・刹柱・心柱
日本の塔の組上げ構法
八角九重の幻の塔
相承善知識御書
野寺移建説に就いて
世親と其学徒
法隆寺講堂に関する諸問題
興福寺東円堂に関する誤謬
法隆寺堂塔に関する古今目録抄の一記事
蓮華王院本堂と得長寿院千体堂
九体阿弥陀堂の平面に就いて
再び九体阿弥陀堂の平面に就いて
中古に於ける孫庇に就いて
法界寺阿弥陀堂の造営年代
法界寺阿弥陀像と郁芳門院
法界寺阿弥陀堂に就いて
当麻寺治承全焼説に就いて
天竺様の遺構と重源上人
観心寺本堂と立掛塔
興福寺東金堂再建年代考
校倉に就いて
正倉院と甲双倉
東大寺本坊の校倉に就いて
唐招提寺の舎利殿と経蔵
神明造と大社造との関係
権現造と石間造
北魏塔婆様式の系統に就いて
聖徳太子の造塔に対する御精神
相模国分寺堂塔建立年代論
大安寺の伽藍配置に就いて
大安寺の位置と移転年代
奈良時代に於ける興福寺の占地
喜光寺の占地に就いて
飛鳥式伽藍配置の名称に就いて
建築史研究の態度に就いて
中古に於ける建築平面の記法
軒瓦の名称に就いて
再び軒瓦の名称に就いて
三たび軒瓦の名称に就いて
四たび軒瓦の名称に就いて
「池後寺即法輪寺説」の誤謬
「法輪寺推古天皇十五年草創説」の疑い

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