ヤーナムの聖典解釈
KENA-UPANISAD(=JAMINIYA-UPANISAD-BRAHMANA 4,10[4,18-21])
大道長安の観音信仰と救世教
Sandilyaの教説再考−BrahmanaとUpanisadとの間−
INTA-PURTA-「祭式と布施の効力」と来世
BHARTRHARI AND THE VARSESIKA ON SPACE
VATSYAYANAの論理的立場-意味論的観点から-
THE EARLY VAISSIKAS ON ASAMAVAYIKARANA AND THE TERMAPEKS
CONCEPT OF YOGA IN THE VAISESIKASUTRA
「父母恩重経」の「増益本」について
支謙訳仏典群に見られる治世意識 1,
初期漢訳経典の訳語の研究-安世高訳経典と「論語」及び「孝子」を中心に
天台智??と「勝鬘経」
?\居士の禅思想−道元の批判を手掛かりとして−
二つの善導観−日中善導比較考−
「善導疏」における「行」と「信」の問題-本願思想の提起した諸問題-
一切群生海の心としての法蔵菩薩
弥勒菩薩像−ヨーガと禅の一接点−
五台山仏教の現況
安然の十地経引用にことよせて
PRAMANAVINISCAYAの注釈における帰謬還元法prasangaviparyayaの解釈-Bu stonによる解釈を中心にして-
「大乗荘厳経論」における転依思想-paravrttiの使用パターンについて-
「瑜伽師地論」「摂釈分」「摂異門分」の結構−uddana頌による科判-
「入菩薩行論解説細疏」のシャーンティデーヴァ理解
「六十二見」説について
般若波羅蜜崇拝の一考察
「般若経」における如意通について
「演劇典範」(Natyasastra)の演劇起源神話における舞踊考
インド音楽史の試み 古代編
ガルバ・グリハの「ずらし」とマルマン-ヒンドゥー寺院の設計に関する新たな解釈-
「ガヴァット・ギーター」と「タウヒード」
シャンカラ−再検討−
「覚醒の贈り物」
二人のプンナ
「阿梨タ経」考−蛇と筏の譬喩−
釈迦仏教における密教的要素
有部教団と仏塔および仏像崇拝
大乗仏教の基本的立場について
般若波羅蜜とは何か
四有説における生有縁起について
般若経典における三十二大人相
法華経と無熱悩池および蓮華上仏
伝統的聖者観の変容−大乗<涅槃経>の四種人と四沙門果−
龍樹における「不退転」の菩薩
「十住毘婆沙論」と「大智度論」比較再考
「唯識三十頌」における仮説と識について 1,
アポーハ論論考
KLESA(KILESA)IN BUDDHISM−WITH REFERENCE TO THERAVADA BUDDHISM−
阿毘達磨倶舎論随眠品とその称友疏との和訳〔初めの部分〕
KLESA−ITS PLACE AND MEANING IN INDIAN PHILOSOPHY−
心光浄説より心性光浄説へ−客塵煩悩との連関を中心として−
煩悩即菩提について
客塵煩悩−如来蔵思想と煩悩論−
梵文阿毘達磨集論における煩悩の諸定義
無明と真如との対論−華厳学における煩悩理解の一側面−
中国仏教の成立と罪意識
AN INTRODUCTORY STUDY OF THE DEGENERATION OF LAMAS −A GENERALOGICAL AND CHRONOLOGICAL STUDY OF IMPERIAL PRECEPTORS IN…
PURIFICATION OF SIN IN BUDDHISM BY VISION AND CONFESSION
TOWARDS AN EXPERIENCE OF BEING THROUGH PSYCHOLOGICAL PURIFICATION
BUDDHISMUS UND KOWAKA-MAI−BEMERKUNGEN ZUR ERZAHLUNGSSTRUKTURIERENDEN FUNKTION VON GEBETEN−
法然教学における罪悪感−鎮西教学を中心として−
ZEN AND THE WEST
ANMERKUNGEN ZU EINIGEN JAPANISCHEN‘MAGISCHEN ALS MITTEL RITUELLER REINIGUNG’
情念と人間の実存−デカルトの情念論研究−
罪意識の諸相−文学作品にみられる罪と罰−
ミーマーンサー学派におけるタントラ
ラーマーヌジャにおける行法
ジュニャーネーシュワルのギーター解釈-特に五、六章を中心として-
「マハーバーラタ」のrastra
詩的霊感(pratibha)について
文豪バーナの故郷
王権神話と現代
今後の研究のための試論
課題と方法
気学解釈への疑問−王廷相を中心として−
??敬の立場−その気学の構造−
趙大洲の思想
明代における李通玄
毛稚黄の欲望格去説
?ケ豁渠の出現とその背景
中国仏教と親鸞−中国仏教はなぜ親鸞を生み得なかったか−
宋元時代の仏教・道教に関する研究回顧
進化からみた“死と生”(進化学と哲学)
哲学の立場からの“死生”の課題(進化学と哲学)
仏教と現代物理学(仏教と科学)
科学の立場から“死生”を考える(仏教と科学)
禅における“死生”の課題(禅と浄土)
浄土教における“死生”の課題(禅と浄土)
ズヴェヴォ「ゼーノの意識」と精神分析(文学と精神医学)
大乗仏教の人間観−瑜伽行唯識学派を中心に−
仏教の伝授と受容−中国仏教の成立
上座部仏教の成立から現代の南方仏教
古代イラン民族における「罪」と「滅び」-ゾロアスターとダリウス大王の場合-
パタンジャリの煩悩思想をめぐって
SAMAYIKA:A JAIN PATH OF PURIFICATION
煩悩の本質
正理学派における似因
後期中観派と形象真実論・形象虚偽論−SAKYABUDHIとの論争と修道論−
シュバグプタのコミュニケーシヨン論
聖典論−ダルモッタラの「プラマーナ・ヴィニシュチャヤ・ティーカー」(2)−

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