チベットにいきづく仏教
現代に生きる日本の仏教
アビダルマの宇宙と人間
遣随使
三木清の内なる浄土真宗−西田幾多郎・田辺元とも関連して−
「究極的な関わり」について-P.ティリッヒの信仰概念をめぐって-
圭室文雄さんの世界
古代氏寺考
古代の地方山林寺院について
近世時宗教団における僧階制度の確立と変遷について
熊本藩領における寺院の実態
明治仏教の教会・結社をめぐる問題
行基と道鏡−『日本霊異記』を中心に−
親鸞と末法史観−三願転入と二種廻向を通して−
鎌倉極楽寺真言院長老禅意とその教学
切紙伝承と近世曹洞宗
浄土宗名越派の成立と民間信仰
江月宗玩
盤珪永琢の生涯と思想
黄檗派の遍歴僧如活について
近世西宮戎信仰の地域的展開
祭りと祀る者−祭祀の変遷をめぐる研究序説−
祭りの歴史とムラの論理-近江国野洲郡三上村の祭礼争論を中心として-
江戸の怪異現象と風聞
近世俗聖に関する一考察−時宗配下「沙弥」を中心に−
相模大山の神仏分離
追善供養の変遷と女性−平安時代、法華八講を中心に−
拮抗する津田(我)とお延(汝)-「明暗」第1部の基本的構造-
有島武郎「生れ出づる悩み」の鑑賞
カライ・カフィルニガンの仏教寺院址
真宗における信仰と生活−真と俗をめぐって−
法然・親鸞・覚如からみた死苦とその救いの問題−浄土教からみた尊厳死の問題−
真宗カウンセリングの人間性-親鸞とロジャースとの比較を手がかりとして-
親鸞聖人の伝道の基本的立場−特に「四依」引用を中心として−
アメリカにおける初期仏教伝道
浄土の一考察(五)
浄土の人民
裁判離婚にみる信教の自由
食生活と心
究極の宗教-エックハルト・久松真一・親鸞と西田哲学をめぐって-
宗教と道徳−特に「他力真宗」において−
“ふり”の三つのタイプ
法と道徳−仏教からみた人間観を手懸りとして−
生と死の思想−人間における欲望の考察と現代文明への問い−
宗教性の次元
和辻哲郎の浄土教の倫理観とその問題点
西田幾多郎と真宗人たち−稲葉昌丸を中心として−
金子大栄の父勇栄について−金子大栄研究ノート−
ボサツの仏教
へんなざんげ
梵鐘“歓喜”の誕生
釈迦の教えを届けてくれた人
静寂への巡礼
禅と生と死
世紀の遺書は昔語りか
死刑囚島秋人の作歌とその人
仏教と深層心理学
病者の自覚
仏教者もプロになれ
吉野・吉野川と古代日本
万葉人と仏教−僧(法師)の歌二首−
桓武天皇と二十二人のキサキたち-長岡京時代の意義をめぐって-
宇津保物語と紀式部集
『更級日記』作者の宗教的環境−願主と造像を中心に−
承元二年多武峰大織冠像焼失をめぐって
大いなる賭−宗教対話−
戯咲歌の世界−続詞花集をめぐって−
俊成と「天台止観と申す文」
後藤重郎氏蔵『新勅撰集公古抄』(仮称)について
杜牧と禅林詩
中世物語『風に紅葉』における笑い
為起から宣長へ
山東京伝と〈考証〉−偽作者一側面−
法の為に身命を抛つ
大愚良寛
住所不定七十年
妙好人の入信
西蔵教の話
西蔵に見る我日本の種々相
仏法のはなし
観音信仰と坐禅の心
毛並の悪いものを救う地蔵菩薩
真宗再興の指標
世界平和と「施無畏」運動
在家禅「十牛の図」
苦と楽
独坐大雄峰
私の坐禅体験を語る
わが人生体験と事業
禅僧の借り衣
回峯行
好相行の話
道元禅師と興道和尚
耕山老師の皆坐禅道
一遍上人
山頭火の我執放浪
性根を授かる話
「お笑いしょうばい」懺悔
私の霊界肯定説
幽香嬰女伝

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