静かな生活
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生かされた人生
求道と快楽
苦楽(詩)
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人間について
仏教と社会性
虚しく往きて実ちて帰る
まことの眼を開く
偽善について
火中の蓮華
人生とよろこび
善意の智慧
黙笑
無我の愛
十地経および十地経論における慢(mana) について
八十種好
瑜伽行派における《性転換》の論理
先立つものの考察−チャンドラキールティに沿って−
自己同一性について−ダルマキールティ論理学におけるTadatmatvaをめぐって
「秘密集会」ジュニャーナパーダ流の生起次第Caturangaの新資料NATIONAL Archives pra.1697(kha 2) の研究
「法華玄義」における二諦説
ラーマーヌジャ派における個我の概念
吉蔵撰「法華統略」釈序品の研究(2)−四処七会を中心として−
観経疏に於ける二乗種不生の問題-中輩の廻心・得生等を巡って-
1930年代ヨーロッパにおけるインド思想受容について
AHAMとATMAN−「ナラ王物語」を中心に
Some Authorities as Sources for the Pali Atthakathas
「サンギータ・ラトナーカラ」における音楽の形而上学
青蓮院吉水蔵「法華別帖」より見た慈円の密教思想
天台行位説の形成に関する考察−地論宗説と比較して−
三密行をめぐって
叡山・園城戒壇論争−「園城寺戒壇詰難答」補論
日蓮の唱題思想と檀那流の潅頂玄旨口伝
満州栖巌寺の浄土教
中臣氏
ヴューハ説の形成(1)−序説
マンダラ供養−サートヴァタ・サンヒターを中心として
IDAM SARVAM(この一切)を知るもの−アートマンを知るものとの関係
「牟尼道(MONA)」と呼ばれたもの
Andhaka神話における自己増殖モチーフ
「金七十論」の本文批評−末尾の検討
「泡」−Uradesasahasri 2.1.19 によせて
シャンカラとHRDAYA
同一性言明の意味論−Samksepasariraka を中心に
初期ヴァイシェーシカ学派のアートマン観−アートマンの唯一性と多数性について−
Svaprakasa-Tattvapradipikaの定義を中心にして
語彙習得の理論と聖典命令の解釈
Svaprakasa−プラバーカラにおける当為の自覚
仮構と存在
生命体としての宇宙−マンダラと元型「母」−
自我の認識と宗教的実践−ミーマーンサ学派のアートマン観の断面
原始仏教における父母の恩
部派における「薬」としての肉食の諸相
「薩」字の成立とその変遷
自己の存在証明−シャンカラの再検討
法華経における存在論の意味−人間を中心として
RASTRAPALAPARIP?CCHA中の釈尊前世五十話
親鸞における女人成仏の問題
親鸞の女性観
道元禅師の比丘尼・女人観
無記と非我
原始仏教における無我と我 2,
大乗「涅槃経」におけるアートマン説
「涅槃経」とアートマン
無我説と主張命題−「破我品」の一考察
無我における個体の連続について−「倶舎論」を中心にして
ナーガールジュナにおける自我とニルヴァーナ
法界義における我と無我との実践的価値性−中辺分別論を中心として
シャーンティデーヴァのアートマン説批判
Siksasamuccaya における修道論の体系−Atmabhava を中心に
『瑜伽師地論』菩薩地における女人成仏の構造について
仏における真実と事実を知る主体−ツォンカパによる如実智と如量智
吉蔵における我と無我
李通玄の性起思想とその諸相
禅と無我
性具説と有の思想−四明知礼を中心として−
海東華厳の源と流れ
称名と無我
抜隊得勝における主体の探求
MAHANARAYANA-UPANISAD 終章の構成
戦後本願寺教団と部落問題
同朋運動における「同和」問題の位置
脱聖化から再聖化への序章
科学と宗教と社会福祉と
真宗の現代的展開としての「吉本内観法」
現代における仏教社会福祉事業の課題
チベットにおける増益護摩
日蓮聖人の女性観
日蓮聖人と女性信徒
仏教の性差別−大無量寿経三十五願のフェミニズムからの解釈−
真宗と性差別
白隠と女性
韋提別選の正意

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