トリ・ヴァリーについて
水経注の寿春・導公寺について−劉裕(宋・武帝)と長安・鳩摩羅什系の仏教−
鳩摩羅什訳出と言われる禅経典の説示する念仏観
ジュニャーナ・ガルバの仏教学−その中観瑜伽行説−
央堀摩羅経に就いて
所謂老子の形而上学的考察
ケイ康の釈私論の一つの解釈
曇鸞伝の一齣について−道宣の記載に関する私見−
邪馬・壹〜臺のよみかた−やま・い〜やま・との転訛−
諸録俗語解について−中国小説戯曲の用語研究ノート 7−
大乗戒と菩薩戒経
白楽天の詩文と呉郡志
楚辞に於ける「嘆老」の系譜
大智度論に見える法華経の理解
道元における持戒持律思想の展開
道教像の研究資料について
大唐蘇常侍写真定本−唐代一宦官の仏教信仰−
孔子と尚書
中国仏教の経済思想
釈尊と日本仏教
宗教史から見た中国古代末期
漢碑漢鏡に現はれた道教的資料について
古佚書道?ァの観経疏の復元について
老子における一つの問題−「道法自然」の解釈−
敦煌残巻三則
魏晋時代の般若思想−僧肇の不真空論に見える三家異説を中心として−
吐魯番出土の道教関係資料数種
月称による龍樹の時間論−MADHYAMAKAVRTTAU KALAPARIKSA NAMAIKONAVIMSATITAMAM PRAKARANAMの和訳
『文心雕龍』の美
管子の軽重篇について
老子守庚申求長生経について
シナ思想に見える遊戯的傾向
「惟漢三年大并天下」瓦当についての小考
造形に見られる亀と文字との関係
明の太祖の三教思想とその影響
倶舎論賢聖品の三十二行相について−称友の倶舎釈に依りて−
唐三蔵の出生説話について
天台の即身成仏義
焦氏易林の作者について
禅宗の発生
差役考
国史より見たる仏教
中国法における疑罪の観念
説一切有部の随眠論
菩提心法者としてのアティーシャ
摩利支天陀羅尼の梵本
GANDAVYUHA AND THE RELIEFS OF BARABUDUR-GALLERIES
DAS ALTE PALMENBLATTSTUCK VON TEMPLE HYAKUMANBEN CHIONJI,KYOTO
THE BEAUTY OF LOVE IN THE MEGHADUTA-IN COMPARISON WITH THE JAPANESE CLASSIC POEM,MAN-YO-SHU-
SAUNDARANANDA に現れた SABDALAMKARA
SUMAGADHAVADANAとDIVYAVADANA
禅と東西文明
禅についての随想−青年学徒に語る−
死と生−一つの人生談義−
白隠に学ぶ
禅話数題
内村鑑三先生のことなど
無有好醜の願(不二美の願)−仏教美学の悲願−
空虚感について
信仰ということ
仏教における人間の自覚
フィヒテの宗教観
ヤスパースの宗教観−世界史における宗教の意味−
禅と西洋の人間
禅と真の自己
禅と現実の生活
敦煌発見神人所説三元威儀観行経断簡校勘
百万遍知恩寺貝葉梵文の研究
告祭序説−古代支那に於ける祈祷儀礼−
「太公家教」校釈
舎利弗阿毘曇論について
十事非法に対する諸部派解釈の異同−特に諸律における十事各項の理解の比較−
施設について
シャンカラの小乗仏教批判
空観の発展
ラトナキールチの遍充論
大日経の本文検討二三
「四度」真言の音訳字の性格
ビルマの誦律会
チャーナクヤ・シャタカ(和訳)
インド古暦と仏教天文暦−特に仏誕日等に関連して−
西域の仏教遺跡
ヨーガ学派と仏教交渉の一断面−認識論を中心として−
中元盂蘭盆と敦煌本中元玉京玄都大献経
チベット蔵経に伝える破神論の梵文資料
草木成仏の日本的展開
弘法大師の縁起観
五大院安然和尚について
貞慶の信仰
バラブドゥール回廊彫刻と華厳経入法界品
ソ連と中共
雲の使者における愛の美−万葉集との比較−
秘密集会タントラ成立に関する二、三の問題
三種の梵語讃
仏教の科学性−バプティスト氏の本への批判をもととして−
大乗仏教思想の根本構造序説
竜龍における実践について
中論における相関性の論理について−第十章「火と燃料との考察」の研究−
瑜伽行派における根本真理
五体験と反省

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