鎌倉時代の両大徳
平安仏教の趨勢略
延暦二十五年間の仏教
奈良平安両期仏教の特性
潅仏会紀要考証
迦膩色迦王
勅謚弘法大師空海の事蹟
日本天台宗第一祖伝教大師最澄
慧燈大師蓮如
伝教大師撰集書目
仏教史研究の必要を述べて発刊の由来となし併せて本誌の主義目的を表白す
支那に於ける仏教と道教との衝突及び調和を論ず
吾曹が仏教の歴史を研究する理由
聖徳太子の冤を雪ぐ
仏教と歴史
天海僧正の事
仏教史研究を聞て
歴史的仏教
支那仏教の三時機
仏教研究の大潮流
世界史と仏教史
龍ノ口法難に関する疑問
釈迦牟尼仏出誕入滅の年代考
潜在印象(VASANA)と知覚(PRATYAKSA)-知識の真偽に関する唯識派の見解
『瑜伽師地論』「菩薩地」における如来の十力の研究 1,2−和訳と注解−
クマーリラのアートマン説の理論「区別と随伴」への批判-TSPにおけるアートマン説批判(4)-3として-
持律者ウパーリの出家
RAMBLING NOTES ON MARTIN HEIDEGGER BY A BUDDHIST
瑜伽行派における三三昧
大本経成立をめぐる諸問題
アートマンにまつわる論争−「四百論」月称釈の和訳研究(2,3)−
文殊菩薩とその仏国土−「文殊師利仏土厳浄経」を中心に−
SHIN BUDDHISM AND THE TEACHINGS OF THE FLOWERY-WREATH
唯識学における因縁種子依に関する異説
狂者不犯及び狂比丘の復権について
唯識修道に於ける虚妄分別と意言−依他起性との関係において−
孝順と慈悲の問題−梵網経を中心として−
警察法要領
華厳経の梵本について
清弁・月称の中論釈にみられる般若経
ペリオCh.2720の観経疏について
道基『雑阿毘曇心章』巻第三(STEIN 277+PELLIOT 2796)−1 「四善根義」校訂テキスト−
観仏三昧と三十二相
日本における唯識観の展開
十地経梵文及び漢蔵訳互照表から
「観念発心肝要集」の翻刻と異本との比較について
「瑜伽師地論」の成立に関する私見
戯曲、MALAVIKAGNIMITRAに登場する一端役PARIVRAJIKAについて
聖護院所蔵「修要秘訣伝講筆記」について−特に衣体分十二通を通して−
玄奘三蔵是非論−特に成唯識論の翻訳に関する事実を中心として−
仏陀相好観の日本的変容
瑜伽論の五難六答−無性有情について−
異教徒の入団規定
仏説盂蘭盆経成立考
隋代仏教における真・応二身説
陳那造「入瑜伽論」一の考察
唯識説における仏身観の特色−「成唯識論」を中心として−
日本唯識展開の起点−「法相宗初心略要続篇」撰述の意義−
ウイグル訳「別訳雑阿含経」断片−゙PELLIOT OUIGOUR 218゙の意味すること−
順高編「五教章類集記」における明恵・喜海の成仏義解釈
私の灯火器コレクション
真実のもつ力−有部及び瑜伽行唯識学派の真実解釈をめぐって−
舎利弗による給孤独長者への臨終説法
良遍教学の特徴−「法相二巻鈔」における平易性について−
衆賢の刹那滅論証
ツェルバッキー 仏教論理学
TATTVA-SANGRAHA-PANJIKA「内属の考察」試訳
後代パーリ文献における止観
ジャイナ教のナヤ説
常行堂の守護神・摩多羅神
覩貨邏僧弥陀山と百万塔
『倶舎論』の時間論における「第十三処」と聞こえない音声についての考察
徳一の「中辺義鏡」−最澄の「一乗義集」への反論か−
沙門ゴータマ論
カダリック出土梵本法華経普賢菩薩勧発品の一断簡
平安期における五重唯識に関する一考察
源信和尚における悟りと救い
「興福寺奏状」についての一考察
ウテン語普賢行願讃考
種子の本有と新熏の問題について(2)
ディグナーガの「文章の意味」理論−「知識論集成・自註」第5章46-49偈並びに「複註」の和訳と梵語還元の試み-
聖堅師とその訳経について
無我説の宗教的究竟態−真宗・仏教・基督教の対比−
仏陀の無我観
WHAT CAN BUDDHISM OFFER BIOMEDICAL ETHICS ?
一念義の周辺
叡山浄土教古文献の調査と研究
法宝の唯識思想批判の考察−変易生死と二乗作仏の問題を中心に−
八識に関する法蔵の解釈
法相唯識における法華経観
実有説と無自性説−特に婆沙論と中論に留意して−
日本唯識における心分論の文献学的研究
「新訳華厳経七処九会頌釈章」をめぐる諸問題
ペリオ本「出家人受菩薩戒法」について
唯識学における無我と輪廻についての考察
聖典の権威と非人為性−PRAMANAVARTTIKA-1KK.284-286自註およびカルナカゴーミン復註試訳−
西蔵文「寂照神変三摩地経」試訳
戒律にみる無我思想
DRSHTANTAとUPAMA
天台に於ける実践論の展開

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