愛といのちを踊る
死が近づく日々
脳科学からみた洗脳
密教とユング心理学
「能力主義」という差別
解放の神学への思い
E・キューブラー・ロスと私の仕事
釈尊は洗脳しない−回心するのは心か脳か
ユング心理学と否定性
「社会的弱者」という見方の問題
現代世界の危機と民衆宗教
インド仏教へのアプローチ−仏教は文化である
霊・魂とはなにか
ときどきの思い−装丁紀行
洗脳−戦争と政治闘争のはてに生まれた技術
現代の病と神話
祭場としての近代工場(日本研究ノート)
現代において神をどう考えるか−東と西の宗教対話
大乗仏教とは何か−大乗仏教入門の本
こころを探究する
平和な時代をつくりだすもの
言葉の呪いのためのポーズ108
宗教的冒険家河口慧海とチベット(日本ブディズムの考察 4)
開眼・回心のために
エロスとタナトス
回心体験と解脱
「私の病名は何ですか?」-患者の5大質問その(2)に答える-(ブッダの癒し 5)
「千人切り」の物語と「死と再生」の儀礼
仏典とは何か−仏典への導き
夢・夢占い
死者の現在
イニシエーションとしての授戒-仏教における回心とは何か
ウィルバーの現実解釈の確実性について-松永太郎氏へのお答え-
私の生きている世界
仏典はどのように作られたか
生物学から死をみる
金沢漆器
親鸞浄土教における回心
21世紀に積み残された法輪功問題
屎糞所
阿含経を読むための本
仏教のジレンマ-仏教における神観念の必然性をめぐって-
肉と石(身体とはなにか 10)
オカルトの深層にあるもの
宗教−その「根拠」を問い直す
般若経とは何か−般若経に関する本
キリスト教の課題
サイズが寿命を決定する
洗脳とは思えない洗脳の例−装丁紀行
身体の欲望から生命の欲望へ(無痛文明論 5)
神、カミ、そして穴ぼこ空間へ
華厳経とは何か−大乗の世界観と実践に関する本
個体の死・生命の死
引き裂かれた生命−現代生命学入門 1〜11
釈尊の伝道宣言と現代の仏教
わたしの神とどう出会うか
テレビで観る「チベット死者の書」
現代生物学の見方−二つの情報系(身体とはなにか 11)
呪いの効果−祓う・忌む・篭る
論疏とは何か−仏教の論にアプローチする本
靖国は誰のためのものか
賢治の里をたずねて−装丁紀行
善悪の一つの彼岸
密教とは何か
結婚
死後の生存を科学する−ロボット的人間観を超える
現代生命倫理の考え方
蓮如教団の経済基盤
密教思想を教える本
死ねない時代の浄土真宗
劇の死−寺山修司をめぐって
脳の操作・心の操作
神存在の証明は可能か
空海を解明する本
胸ふくらむ想いへの誘い
死の臨床における医者と患者
法律問題としての生命倫理−先端医療の法律学
宗教が「宗教」を超えてゆくとき
妊娠・出産とテクノロジーはどう関わるべきか
魂のリアリティにどう触れるか 対談
仏教雑考
天台密教を教える本
患者と死−看取りの立場から
生命の価値を何が決めるのか−良い遺伝子・悪い遺伝子
21世紀のブッダ
「日本の思想」再考
ほとけの姿のイコロジー
宗教ブームの彼方にあるもの
子ども文化はどこで死を感じ取っているか
人工生殖の問題点−妊娠と中絶の法律学
ネット時代の仏教の展開
落葉掃くこともいただき寺貰ふ
密教学を見直す本
さあ旅へ−歩くことは宗教だ
生殖における南北問題
空海伝の基本問題−思想研究のための序章−
セラピーと現代仏教
浄土の教えとは何か−浄土思想への招き
死者たちの声を聞く
生命操作を仏教者はどう見るか

成田山仏教図書館蔵書目録総合リンク集へ戻る
成田山仏教図書館トップページへ戻る