「広報なりた」は、ニ0052-0027にあります。
村落型城郭から都市型城郭へ
戦国期江戸湾岸における「海城」の存在形態
白井庄根古谷城と塩古粟飯原氏について
太空歌
文化の開拓者 伊能忠敬翁 1〜6
長崎街道こぼれ話
伊能測量隊 長崎に来る
伊能測量隊子午線一度の長さの測定 1,2
平戸藩と山鹿素行
「ごしんつぁま」賛歌−祖母の思いで−
ただたかかそれともチュウケイ?
鳥取に残された古星図−天文古書籍研究−
忠敬と亜欧堂田善
伊能測量隊の経度の測定
久美浜に於ける伊能測量 1,2
忠敬先生関連の或る古書をめぐって 1,2
シーボルト事件の背景と間宮林蔵 1,2
伊能大図総覧の地名と景観 6〜15
伊能忠敬が因幡国の宿泊宅で出自や測量方法を語る
青柳種信著「筑後国一條原石人図考」の考察
伊能忠敬の測量と私の実験−研究レポート「伊能忠敬」 2,3−
伊能忠敬測量隊の東京多摩地区測量 1,2
伊能達(みち)の婿選びに奔走した伊能豊秋
伊能忠敬の第二次測量(研究レポート「伊能忠敬」 4)
全国の居城陣屋の所在地と領主名記述 伊能忠敬測量の能率と安全対策か?
伊能忠敬と金沢八景
梵天を立てた所は三十万から四十万箇所 伊能忠敬測量隊の全国測量
交際範囲が広かった忠敬
渋川家と養子景佑(高橋善助)の家族
品川より六郷土手前迄の図
伊能大図214枚史上初の全図公開まで
「稲」は伊能忠敬に勘当されたか
伊能忠敬大日本沿海輿地図(大図)−出雲伯耆地方−
東蝦夷地の会所
伊能忠敬宛 高橋三平重賢書簡
二つの家訓
日本大学文理学部における伊能図展の特色
観測隊員が残したもの B124 伊能妙薫宛 尾形謙二郎書簡 文化10.5.24
間宮林蔵の東蝦夷地測量−文政上呈図にその足跡を探す−
B159 伊能妙薫宛 箱田園右衛門からの依頼状
伊能忠敬と間宮林蔵 師弟の絆が蝦夷地の地図完成 2
伊能忠敬作 佐原市粉名口付近実測図
「鬼平」と忠敬のご縁 閑話−目録こぼればなし−
良助の次男 榎本武揚 1〜4
もうひとつの伊能図−忠誨星図−
越後国岩船郡内沿海測量について 1〜4
伊能測量隊員柴山伝左衛門について 1,2
伊能図にみる朝鮮の山々 1,2
高橋景保と伊能忠敬(伊能家文書紹介 24)
忠敬先生と筑前こぼれ話
伊能忠敬と蝦夷地派遣の幕使たち−蝦夷地測量時における−
伊能忠敬の島原領測量と島原藩の地図作製
「才女・エイ」−大崎栄のこと−
忠敬と漢文の一紙
伊能忠敬と鳥取・智頭街道(因幡街道)
源空寺の忠敬墓碑銘拓本
伊能隊に付き廻った村役人の記録−大野城市(福岡県)の高原家文書より−
伊能大図とアイヌ語地名研究
氷上郡の農民が拠出した金
高橋至時と妻の「柿の木の挿話」と無量寺
『旌門金鏡類録』 1〜8
伊能忠敬と菅茶山の会談について
「加賀藩測量二百年」の年を終えて
忠敬の持病と妙薫の卵
外国の文献の中の忠敬先生
和算の番付表から
糸魚川事件始末
待望の未公開忠敬書簡
伊能忠敬の偉業を偲びて
外国の文献のなかの忠敬先生 1,2
霊源大道歌
「新伊能忠敬物語 余話」 伊能測量隊の旅と旗本巡検使の通行
伊能図新時代へ向けて
ハルビンにて「老師 兼 留学生」の記
新しいことを知る喜び
伊能忠敬の測量技術
月距法とは−時計を必要としない経度測定法−
−芳名録こぼれ話−
高橋影保の登場
蝦夷地での伊能忠敬の先触等〜幕府直轄後の宿駅制における〜
校歌にみられる「伊能忠敬」
伊能忠誨日記の連載について
『子午線の夢』三条市で上映会
学習院大学の伊能図がネット公開
初詣と伊能忠敬
ホームページ伊能図書館に「史跡めぐり」を開設
高橋景清「御用日記」より
東京大学総合図書館蔵 伊能忠敬測地原図
伊能図における経線のズレについて 1,
篠山領追入本陣の事前準備−篠山市大山・園田家文書−
伊能忠敬と柏木家の人々
「官板実測日本地図」論考−その編纂過程と図の内容・種類− 1,2,
伊能忠敬の歩幅
内弟子・箱田良助の榎本家入籍事情
伊能忠敬の測量道発掘
「割円八線対数表」の誤記
文化元年(1840年)のこと(伊能家文書紹介 19)
加賀藩天文暦学者 西村太冲 1〜3,
伊能忠敬の足跡を辿って

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