近世袖ヶ浦市域にみる蔵書について 進藤家・永嶋家の分析を中心に
袖ヶ浦から漁民の海が消えるまで−長浦地区の変貌50年小史
三ツ作の「おみかり様」
三箇村光福寺の近世史−光福寺文書の紹介−
民衆の見た戊辰戦争−慶応四戊辰年新聞一の紹介−
「心の花」とふるさとの歌詠みたち
明治の人・影山信一
私と郷土史
万葉植物散歩と袖ヶ浦
近代における内湾塩業の展開と地域名望家の行動−袖ヶ浦塩業と鳥飼家の行動を中心として−
袖ヶ浦こぼれ話
関東大震災の記憶
満蒙開拓青少年義勇軍
西上総ゆかりの鬼作佐の生涯−本多作左衛門重次−
新撰袖ヶ浦姓氏録 3,4−名字と家紋から昔を尋ねる−
袖ヶ浦の遺跡立地とその分布について−弥生時代から平安時代にかけての動態把握のために 2−
私と郷土史
「平岡村を偲ぶ会」について
「なみき」の発刊をよろこぶ
「なみき」発刊に感謝して
「なみき」発刊にあたって
「並木町」の生いたち
『袖ヶ浦市史研究』の創刊にあたり
『袖ヶ浦市史研究』の創刊に寄せて
三黒の松見寺と仙石騒動
神葬祭への集団改宗
幻の南蔵院
君津郡と市原郡の浦境および漁業権の推移
三ツ作貝塚
袖ヶ浦の上総掘り
タイムカプセル「赤い鳥」今帰る
「新撰袖ヶ浦姓氏録」 1,2−名字と家紋から昔を尋ねる−
上之総州望陀郡高谷郷総鎮守祝詞来由記
袖ヶ浦の遺跡立地とその分布について
袖ヶ浦年表
私と郷土史
『袖ヶ浦市史研究』第二号刊行に寄せて
年貢米の輸送と湊−西上総の社会と文化 1−
里見氏の西上総支配と民衆−葛田家文書の紹介−
鬼作左とお仙
出羽三山道中記について
上総五座の一「飽富神社」略縁起などに就いて
南総八景
上総国望陀郡三箇村鎮守をめぐる氏子と旗本水上氏の動向について
袖ヶ浦年表
キッコーマンの満州進出と満州における醤油事情について
短歌「靖国神社の大公孫樹」
茂木延太郎の書簡にみる華麗な人脈
大正後期における川間村の村風作興構想−染谷亮作村長時代を中心に−
千葉県北西部地方の守札にみる信仰形態 2-近世から明治期までの分析-
戦後の農業の変遷と農政
関東管領山内上杉氏の復活と梁田氏
下総国葛飾郡今上村 田中吉右衛門家文書目録
下総国葛飾郡今上村 松本三左衛門家文書目録
戦後直後に於ける醤油醸造業界の状況と醤油の輸出再開の問題について
千葉県下の警察組織再編に関する若干のメモ−総司令部G−2文書を中心として−
一茶が残した謎の年号『美禄』考
千葉県野田市木野崎低地における過去35,000年間の古環境変遷
岡部正綱の政治的位置
寛永期の江戸川開鑿について
下総国葛飾郡山崎村望月(伝左衛門)家文書について
近代野田町教育小史 上,−野田町の教育家・松山家の人々−
千葉県野田市桜木神社の大々神楽面
北総佐原と正文堂書舗 水郷佐原にみる新興商人の一形態
「さはらタイムス」 正文堂利兵衛が発行した新聞
両京新記
小豆島醤油と野田
四代勝文斎製作の押絵扁額「野田醤油醸造之図」
優しさ 佐藤真先生
悼 宗谷真爾先生
三ツ堀の民俗調査に参加して
文化遺産を後世に
座談会 樽作り励んだ頃−野田を語る 3
旧利根川下流域の城と町−古河・栗橋・関宿を中心に−
近世後期における赤穂塩の流通と野田醤油
大正期、醤油醸造業界の状況と野田醤油株式会社設立の背景について
大正・昭和初期のキノエネ醤油
中規模醤油醸造家の経営動向−千葉県東葛飾郡田中村吉田家を事例として−
鮎川文書にみる下総目吹城の戦
「野田市金石資料集」に関する一考察
忌部への憶い
白鷺川の縄文海進
鎌倉初期の下河辺氏について-「吾妻鏡」の記事を中心に-
堤台城主岡部氏関係史料調査報告
昭和初期、醤油醸造業界の問題点と自家用醤油の問題-野田との関連に於いて-
占領初期、千葉県の〈軍政〉機関について
千葉県北西部地方の守札にみる信仰形態 1-近世から明治期までの分析-
野田市の行政資料
野田の町と塩せんべい 座談会「野田を語る」5
相馬御厨の成立とその前提
四書逸箋
中国、石窟寺院
わが歴史論−柳田国男と日本人をめぐって−
乳の潮−不知火海より手賀沼へ
地名の話−ひとつのアビコ考−
地域史を掘る−我孫子古墳群調査から二十五年−
下総台地に生きた人々-近代、小金佐倉牧開墾とその周辺
文書館と地域の社会的集合記録
中世民衆世界の東と西
地域史と世界史

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