近世の地方豪農経営と在村金融 下総手賀沼縁り井上家をめぐって
昭和前期における手賀沼耕地整理 地域の宿願を成就した井上開墾
資料紹介 大正期・我孫子在住の作家たち 主に雑誌「白樺」から
待道大権現とマツドッ講 市内における女人講の変遷過程を通して
「染付老松大皿」と河村蜻山
“モクトリ”と紐
根戸の葬頭河婆像
「崖」の絵と三岸好太郎
追悼 一志茂樹信濃史学会会長
上新木の千体地蔵
本土寺過去帳への一点 その地域的拡がりと不受不施派
中世布川豊嶋氏研究余録
我孫子の絵馬について
久寺家と取手と
古墳時代解明への期待
関東の自由民権と地域文化 —市民の手で創ろう我孫子の歴史VIII—
中相馬地方の年貢収取状況と農民の動向
近年手賀沼の水害
天保期の根戸村妙見造営について
大正期における手賀沼開墾耕地整理
小論 明治二十二年の市町村制と我孫子
我孫子宿と水戸街道研究ノート
乳の潮 不知火海より手賀沼へ —市民の手で創ろう我孫子の歴史—
水と土と人と —市民の手で創ろう我孫子の歴史—
共同研究「近世柴崎村の研究」について
伊勢参りと伊勢講
柴崎村たい女松ヶ岡駈入のこと
天保期の柴崎村における流作場・原地新田の領有をめぐる一件
補論・天保期の柴崎村の村況
明治初年の柴崎村の屋並
川村正信家文書に見る近世柴崎村の水害
川村磯右衛門家の酒造業について
大曽根昔々
丙申秋季畫評
柴崎村円福寺と村社会の変貌
岡田武松博士の足跡を訪ねて
匝瑳氏の動向
布川豊嶋氏に関する研究ノート
布川・豊嶋氏の遺構と遺跡
布川豊嶋氏の伝承を訪ねて
豊嶋氏と正泉寺の接点
沖縄の地域史づくりと名護市史の構想
市史編さん室から文書舘へ
地方市史編さんと市民史づくりの原点
古代史研究の新らしい課題について
欠年史料の年代比定の一例
我孫子中世史像の再構成をめぐって
不安と当惑の中で
世界史と地域と
あらまほしき市史像
我孫子史を考える
ある独白
愛する我孫子のために
市史の編集にあたって
市町村史における民俗の記載
木村荘太の死
「我孫子市史(民俗・文化財篇)」の編集にあたって
お地蔵様
明治初年徴兵事務の実際 根戸・川村一夫家文書からみた
古戸・谷津田の農耕 昭和初期における水利と稲作技術
古戸・谷津田の農耕 昭和初期における水利と稲作技術
我孫子西部地域における近代の水害
北総小農民の生活の実相 旧湖北村日秀、「増田実日記」より
北総我孫子史の地域像 「市民の歴史学」の可能性−市民の手で創ろう我孫子の歴史VII−
郷土芸能の生き方
神楽のこと
北総の神楽
小金『大谷口城』考
馬橋の小沢氏について
旧高城領を探る
板碑の出生地を訪ねる
鮮魚の輸送
発作新田忠次郎一件史料
沼南町大井・石原家の氷冷害
史料保存と文書館
地方史編さんの過去・現在・未来
「標津町史」第一巻を編集して
湖北文化連盟について
故郷の岡田武松
岡田武松博士の足跡を訪ねて
母の語る大正初期の布佐
布佐のむかしばなしとわらべ唄
資料紹介 明治初年「極貧戸」家庭の実状
『町統計一覧表』にみる旧布佐町
柳田国男と郷土研究-市民の手で創ろう我孫子の歴史 6-
高城氏の研究 1,
高城氏の研究 1,
順道塚
「とうかんびょう」のこと
十三世紀末の板碑の発見
高野山香取神社
復刻の『湖北村誌』への感想
我孫子市日秀西遺跡の調査
「柏市史」編さんのあゆみ
沼南町史から
取手市史料より
中国旅行の断章—歴史経済の視点から
「北総我孫子の地域と生活」に寄せて
明治前期・手賀沼開墾構想の二潮流-国学者と仏教諸宗の計画とその群像
幕末・江戸湾海防と我孫子 根戸村御林

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