第二篇 学校管理法-「輓近小学校管理法(改訂版)」 1927
小学校教長の心得としての六ヶ条-「校長雑誌」 1931
私の自叙伝-「新教育研究」 1935
私の学校経営-「教育論叢書」 1935
戦後における奈良女高師付小の実践の位置-「教育方法論 1 教育実践」 1975
作文教育の傑作 「総合教育技術」1974
私の先生 「私の先生」1966
その頃の教師 「生活の本 1 わが師わが友」1967
奥野庄太郎先生のこと 「暮らしの流儀」1987
河野孝光先生 「十代にどんな教師に出合ったか」1985
正木ひろし先生との出会い 「児童心理」1978
マッキンノン教師 「若い詩人の肖像」1956
猜疑と恐怖の国
僕の見た小原先生 「玉川のおやじ 弟子の見たる小原先生」1947
風変わりな教師集団 「十代にどんな教師に出合ったか」1985
S先生の言葉 「路上のボールペン」1984
翠川淳-人間らしさと決断力 「ほんとうの教育者はと問はれて」1975
杉崎先生の思い出 「杉崎?k先生」1964
佐々木先生の思い出 「佐々木秀一先生-その生涯・学問・人格」1962
牛沢先生 「牛沢搏美先生遺稿集」1958
忘れえぬあの師この友 「作文と教育」1986
小・中・陸軍幼年学校の頃 「自叙伝」1923
旅人 「旅人-ある物理学者の回想」1958
旧友交歓 「蝦蟇の油-自伝のようなもの」1984
恩師の思い出 「児童心理」1950
私を私にしてくれた先生 「心に残る教師のこと」1973
私の歩んできた道 「聞く」1982
「日本一先生」は語る 「大村はま自伝」1990
私の見た先生の一面
人生のかわりめ−真実を語った人との出会い
市田における図画研究会
染浄の人・桑原末吉先生
野をゆく聖者の如く−林先生の授業巡礼に思う
戦死せる教え児よ
子供らとともに
約言
自由教育に生を捧げて
教師の研修の歴史
私の歩みから
私が学んだ人びと
自由民権の若者の思いは学校に生きていた
かけぬけていくもの
金曜会の組織と実践−「学校組織論」の実践的展開
校内研修
小学生時代 「数学者の回想」1950
芦田先生の思い出 「回想の芦田恵之助」1957
恩師 「弁天山美家古 浅草寿司屋ばなし」1990
小林宗作校長先生 「窓ぎわのトットちゃん」1981
阪井先生との出会い 「生きることの意味-ある少年のおいたち」1974
指導の特殊性
教育の原点はどこに
玉村小学校
日光街道三百キロ
森の中の学校へ
島小の新任教師
教師らしくない教師と子どもらしくない子どもがいる教室を求めて
なれと甘えでない「真の仲間」づくりを
新しく教職に就く人たちへ
新しく教職に就く人たちへ
若い教師への手紙
新任教師の成長の語るもの
教育実践と人権問題
綴方教育に於ける北方的営為
風の子
死−佳奈とともに生きる
日日の生活への問い
学校緘黙
明日香とともに−養護学校に学んで
生活の地図
「つまづき」をバネに
自由作文で学び合う
授業を見つめ直す−「理(ことわり)」の世界へ
杉崎先生のことども
説諭要略 「説諭要略 巻之一」1874
学制序文[学事奨励に関する被仰出書]「太政官布告No.214」1872年
職場づくり 「学校づくりの記」1958
校長としてのとりくみ 「教師にとって愚直とはなにか」1970
校長記 「ある小学校長の回想」1967
ひとりひとりを生かす 「実践活動の概要」1992
個性化教育をめざして 「個性化教育へのアプローチ」1983
校内研修の改革 「校内研修」1990
全校朝会の講話 「小学生 君ならどう学ぶか」1987
生徒たちへのことば 「ひとむれ」1987
新任の頃
戦中に於ける教師の仕事
新任教師の期待と不安
ひたぶるな新任教師の誕生
山あいの中学校、新米英語教師泣き笑いの一年
私は新米教師
私の歴史
はじめの一年
新任の頃
教師になるということ
子どもを見つめて
若勢となった新米教師
訓導時代
全校集団づくりへの道
北海道家庭学校の教育
学校再建の柱は教育だ
問題をかかえる生徒の指導

成田山仏教図書館蔵書目録総合リンク集へ戻る
成田山仏教図書館トップページへ戻る