デリーのシェイフ=ニザームディーンとジャマーァト=ハーナ=マスジャッド
コルサバード出土の基礎銘刻板について
古代イランのアナーヒター女神について
基礎的な単語から見た日本語の系統
万葉・宣命・訓点語-日朝両語の情意を表す語について
ウラル・アルタイ語研究の出発点としてのフォン・ストラーレンベリの「タブラ・ポリグロッタ」と「カルムク・モンゴル語彙集」の考察
元朝秘史蒙古語と現代モンゴル語
北方中国語における声調交替
経済開発とアジア文化
騎馬民族説とタテ社会論
倭人と馬
元代法制史上の恒例に就いて
マルコ=ポーロ「東方見聞録」に述べられる地名ギンギン=タラースについて-
明代の済農倉について
唐寅と考試
崇徳五年のダライ・ラマ延請中止について
清初正藍旗改組始末考
清初の社会−とくにジュシェンについて
康煕三十二年議準の俄羅斯互市規定について
乾隆ビルマ遠征の後始末(乾隆34年12月-乾隆36年9月)
盛京??藍旗新満州の「世管佐領執照」について
続満州馬賊考
ボグド・ゲゲン・ホトクトの法典
「トゥメト・十二オトク考」
新彊都督楊増新
李大釖とコミンテルン第五回大会
タイ民族史における国民形成
パルミラ女王ゼノビアについて
初期イスラム時代の部族カティーアと軍事カティーア
イクター制下のエジプト農民−キンヌの概念をめぐって
其或継周者雖百世亦可知也
墓誌の起源について
アブ・シンバル神殿の彫刻
石寨山文化に見られるスキタイ系文化の影響-種族=民族の交流と経路
ラスコー洞窟とゼブラ−古代馬試論
山城乙訓郡の條里
浙江省紹興出土の遺物と其の遺跡
付法蔵伝と雲崗石窟
竪穴式石室構造考
満州熱河省大名城発見の遼代石棺等について
橿原神宮付近考古学資料の出土分布
百済文物の溯源に関する一考察
掌酒と膳臣に就いての一考察
草薙剣と斬蛇剣
義煕九年倭国献方物をめぐって
金石文資料からみた新羅官位制
大秦王安敦の遣使について
いわゆる晋の西域経営について
烏桓校尉・匈奴中郎将をめぐる諸問題
淅江?P県の石城寺とその弥勒像
隋の煬帝の吐谷渾征討路について
唐の戸婚律の「増減年状」に就いての一考察
五代宋初藩鎮年表−?T州藩鎮の場合
宋代における華南官僚の系譜について 3-特に揚子江下流域を中心トシテ-
高麗初期の科挙制と宰相との関係−宋の科挙制との関連において
耶律一族と元好問
「モンゴル秘史」の第261節に見える「馬荅撤里」と「阿ト禿城」
ジンギスカンの生年について
元の昭宗の年号「宣光」に就いて
平群広成等の謁見したる崑崙王
宋代坊場の民間経営について
後魏刑官考
満州あなぐら考
金世宗即位事情の一考察−特に世宗と遼陽渤海人との関係について
フランク・発郎・仏菻
海都の叛いた年次に就て
正義−希臘政治原理の一としての
シュメール法について-楔型文字法の最古起源としての-
クレテ文明とクレテ美術
カーツーシュ(Cartouche)に就いて
ランケ史学と機の問題
資本主義起源の問題
古代末期論−ローマ帝政史序説として
DEUTCHER PARTIKULARISMUS
トライチュケ復興
歴史的概念としてのAncian Regime
日本刀剣史の黎明期に於ける大和鍛冶
国土計画と交通
支那水路の発達とその舟
蝦夷地−その地理学史的意味
足利先生と私
世界に於ける米作とその需給関係
製紙篇
近世武家の歴史思想
近世国学者の歴史思想
明治開化期の歴史思想
歴史哲学に於ける道徳の問題
天行恢弘−日本書紀叙述の精神史的考察
観修寺家領に就いて
鎌倉時代に於ける社会秩序の一性格
水の起源に関する古伝
中世の武士道と近世の武士道
贈答用としての和紙について
新羅と高句麗
法隆寺金堂薬師如来像管見
山の崇拝と山の神−特に山仏教との関係に於いて
聖応大師伝資料の一二に就いて
外国資本による琵琶湖疏水開鑿−京津間疏水計画の研究、第四
近世寺内町の性質−特に和泉国貝塚寺内町に就いて
徳川家斉公子の諸家相続に就いて

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