両部合行
最澄の思想形成についての一視点
亀報恩説話の展開
詩僧齊己と鄭谷の関係について
浄土の讃歌−讃阿弥陀仏偈和讃覚書
雪窓宗崔伝の史料的検討
無限と超越についての試論
「インドへの道」における語りの分裂と帝国主義ディスコース
中世武家々訓における儒仏受容の過程
COLERIDGEの想像力と空想との区別に与えたJEAN PAUL RICHTERの影響について
平太郎伝の展開−浄瑠璃を中心として
心不相応行の大乗アビダルマ的分析
「異邦人」における「語り」−動詞時制を中心に−
論注に於ける一心釈の意義
如来性悪思想の創説者−潅頂説への反論
ミレトスのアナクシマンドロス−その断片DK.12 B1について
ハーバート・スペンサーの哲学と進化論
憑叔鸞と民国初期劇評
梵文金光明経の校訂に就きて
三願転入の実践的意義
望郷の社会心理
人間キルピネンと彼の歌曲芸術における基本的スタイル
「白鯨」の現実と非現実−二つの宣誓をめぐって−
行の廻向より見たる本願
物狂の能について
悪について
古逸六朝観世音応験記 解題
八雲とイェイツ−詩「青銅の頭像」をめぐって
浄土真実の行
一九世紀前半のボン教教団の動向
曇鸞大師伝の研究
宋拓集王聖教序について
衆生観への一視点
「聖ジュリアン伝」をめぐる二、三の問題
平板化した心的世界−今日的人格像と心理臨床家のジレンマ−
永観の念仏観−法身同体の思想を中心として−
親鸞における仏道観−「大経」五悪段の教説をてがかりとして−
ベルジャエフの倫理学
般若中観への道(上)−「入中論」第六章の試訳<1>
国家と宗教−ヘーゲルにおけるその連関の諸相
熊野三山の庵主・本願寺院と願職比丘尼−新宮神倉本願妙心寺文書の一、二の検討をふまえて−
近世における源信と母の説話について
龍谷大学附属図書館蔵敦煌本「菩提達摩観門法大乗法論」-特に其中の「宗修心要論」に就きて-
真宗教団における儀礼−特に法会について
キルケゴールに於ける「瞬間と愛」
新出の聖徳太子絵伝双幅−前生と本伝とをもって成る
墓上植樹と真宗
二十世紀における中国仏教の一つの指標−周叔迦(1899〜1970)の場合
数の起源−現象学成立の一契機−
サーンチ(案内書)
チベット自治区博物館蔵五言語合壁−「如来大宝法王建普度大斎長巻画」(1407年)のモンゴル語テキストについて−
絶対者の弁証法−法の形而上学と機の認識論
「転有経」について一考察
浄土真宗の建学精神−真宗教育の可能性−
唯識思想はなぜ「ことば」を重視するか
天保義学 京都の教諭所につきて 上下
虚妄分別の有無相
M・ウェーバーの宗教社会学-「近代資本主義の精神」における宗教性の喪失過程について-
果遂のちかい
眺望大拙像−大拙の出発点
金代における宗室と仏教
支那古代葬法の一考察
元興寺極楽坊中世庶民信仰資料における闘茶史料
図書館活動へのアプローチ
隋仁寿舎利塔事業の基礎的考察−「勅使大徳」と起塔地をめぐって−
知恵と自由
真宗掟門の研究序説
時宗の古和讃「本願」の構想
真実証−如来回向の利益としての「真宗」
「愛」についてのジャック・ラカンの二つの定型表現
覚如上人御分骨碑について
大乗仏教の世界的使命−若き人々に寄す
「教行証」研究の方法論的反省
「仏教美術」創刊のころ
「ヨーガ・スートラ」における自在神
「平家」文覚譚考−勧進聖と念仏聖
コミュニティソーシャルワークにおけるコミュニティ概念
解深密経の成立構造の研究(三)
「活語指南」についての若干の考察
平安朝時代の法華経信仰−その一視点
若きヘーゲルのキリスト像
「笠地蔵」の背景
支那釈家著作名通検−除大蔵経
「信解空法」と「易行品」の展開
成実論の無我説と三心について−唯識三性説との対比についての一試攷
支那浄土教の時代区分とその地理的考察
仏道の問題
中間に関する一考察−パスカルを中心として
定言命令における形式と実質
宿善の二相
教育と教養−教育の基幹概念
念仏の人 木村無相−妙好人の一考察
山西省澤州及び高平の仏石調査
「浄土論」試攷
「宇治拾遺物語」と話主
幼児教育の基本問題
<蓮宗宝鑑>管規−契嵩とのかかわりをめぐって
朽飯八幡神社所蔵刊本「大般若波羅蜜多経」について
四分と量智に就いて−唯識四分説の一部として
今昔物語集に現れたる浄土信仰に就いて

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