黄檗禅師の「心」の考察 1,2
「正法山六祖伝」の版本について
遼代千人邑会について
無文道燦略伝
キルケゴールに於ける歴史の問題
「神会語録」とチベット宗論-中国禅に関する二つの敦煌資料-
行為的直感について
坐禅儀に就いて
W.ジェームズと彼の聖者性について
チベットのシナ仏教
京都学派と「ファシズム」のレッテル−現代アメリカにおける過度な「政治的な正しさ」(ポリティカル・コレクトネス)の問題−
兵庫県南部の仏像
日本中世禅思想の展開−臨済禅を中心として−
応禅普善の関山国師別伝について
リップスの人格論
日本禅の特色
曹洞宗古規復古運動推進者の著作と禅規略述の翻刻
五山文学の「理」-虎関師錬と中厳円月を中心に-
露柱と交わる世界
中国における国家と宗教
法灯円明国師之縁起について−中世における唱導と絵解の一例−
会昌廃仏後の華厳の江南伝播と禅−李通玄と神異を中心に−
隠元禅師と中日両黄檗山の由来
最近禅宗学界展望 1,2
麻三斤
狗子無仏性の話をめぐって
僧伝小考三題
妄想の一考察
六祖慧能禅師と文人との関係に就て
中岩円月の中国文学的背景
初期の習禅者達 2−大禅定寺の習禅者−
絶海中津と明僧との交渉−文学へのいましめ−
禅への心理学の関わりについて 1,
今津文庫所蔵「由良開山法灯円明国師法語」
端渓周鳳の「刻楮集」について
華叟宗曇とその門下 付:大機弘宗禅師行実碑銘,養叟和尚法語
日記類に見る絶海中津−「坦率の性」に注目して−
伏拝
鉄山宗純
僧伝小考二題
斯経慧梁と江湖道場の開創について
見性成仏説と宝性論
徒然草の思想−特に仏教文学作品としての一試論−
「挿注参釈広智禅師蒲室集」引用漢籍及び漢詩について
禅宗東西祖統説考−柳田聖山先生の「禅宗東西祖統対照表」をめぐって−
謡曲における禅語の二三について
表現の問題−西田哲学と田辺哲学を介して−
鈴木正三の念仏禅
仏教学の学び方
「弁邪正説」訓注 下
「事」への超越−滝沢克己氏の問いに対して
玄奘三蔵の唯識観経と「般若波羅蜜多心経」の流伝について
僧を改めて徳士と為す−北宋徽宗時代の仏法受難−
『楞伽経』の「自心現」と『慧可語録』
白隠慧鶴における洞上五位の一考察
レニングラード所蔵敦煌漢文書
「掣風掣顛」蠡則
泉涌寺と南宋仏教の人的交流
正法眼蔵・仏性巻私釈 上
禅への心理学の関わりについて 2−「プシコロギア」と佐藤幸治−
京都高田寺薬師如来像と藤原実方の歌
部派仏教の心性本浄説について
竺道生の頓悟義について
漢蔵和五訳対照「維摩経」菩薩行品-有尽と無尽と言われる法の贈別章
禅学関係雑誌論文目録 1984,1985,1991
馬祖の伝記
資料紹介『禅林諸祖伝』所収、「開山行実記」・「妙心禅寺記」−流布本『正法山六祖伝』「関山慧玄」章・「妙心禅寺記」との対照を通して−
「東坡禅喜集」について
春屋妙葩再論
修道作仏は皆な是れ継縛なり-「究竟大悲経」の解脱観-
清規研究の問題点−南禅寺関係の清規紹介を兼ねて−
禅に於ける宗教と文化の関係−「転」の宗教と「幽」の文化の相即−
元朝における中峰明本とその道俗
「善の研究」における論理と宗教
本崇「法界観門通玄記」について−華厳復興期の教観并修論を中心として−
二十九説考 2
費隠通容の臨済禅とその挫折−木陳道ビンとの対立を巡って−
「唯一無想義」について 敦煌発見のチベット語テキストの校訂と和訳
鎌倉期禅僧の葬送と霊骨器−建長寺塔頭からの発見事例を通して
鎌倉時代における夫婦観の諸相−夫婦二世観成立の一側面をめぐって−
無諍の論理−「仏教における戦争体験」 6−
慧林性機年譜稿
終身
大峡秀榮独語訳「ZEN」と洞上五位偏正口訣
道元の戒律観と「没後作僧」
慧洪「石門文学碑」の文学世界
記念展観「日本の近代化と仏教」によせて−日本仏教学会二〇一二年度学術大会記念レポート−
祖師禅の源流−老安の碑文を手がかりとして−
本末関係の考察−社会学的一二の問題に就て−
禅と日本文化の将来
論理と体験の問題−西田哲学を中心として−
栄西の仏教思想について
楞伽経管見
一山一寧撰「頼賢の碑」と松島瑞巌寺−御島妙覚庵の観鏡房頼賢の事跡をめぐって−
THE STONE GARDEN
宗教哲学の課題をめぐって
初期妙心寺の世代とその住持位次
真宗と禅宗の間-「浄土真宗百通切紙」をめぐる諸問題
東嶺禅師の行願思想と「願力ノ弁」
語録の言葉と文体

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