陵禅会と私
初心ひととき、駒場寮北寮十四番
陵禅会の後援会のことなど
祝陵禅会創立六十周年
昭和三十五年から数年間の陵禅会
昭和三十六、七年陵禅会の思い出
「本郷陵禅会」のころ
宋淵老師・宗忠老師
昭和四十三年頃の陵禅会
この二十余年
陵禅会回想
陵禅会の部長だったとき
陵禅会との関わり半世紀
宋淵老師の思い出
宋淵御老師様のことなど
清き心の益良雄
追悼 宗忠老師
私の禅とのご縁
掃きとるや せめて歌棄
禅山麓
実用の禅
「無」のエチュモロジー
『正法眼蔵』と精神医学
私の禅と観音行
終戦前後の陵禅会
雑感
禅と念仏 私の仏教学
三十五年、迷ってばかり
不真面陵禅会生ながら陵禅会との長いつき合い
扇とチューリップ
禅との出会い
三昧堂修築と学生たちの心
敗者復活の陵禅会
陵禅会に入るまで
私の転向
三昧堂
禅との出会い
人生、日々是旅なり
不毛な夏
陵禅会に入部するまで
カナチンの死
そして水は流れはじめた
西谷啓治の禅理解
一期一会・・・十三日会の由緒
大学の禅会 東京大学
紹介陵禅会の一年/陵禅会略史 昭和54年3月
人に臆せず金に惑わず「陵禅会後援会」
日々是好日
開目鈔
臨済宗大鑑派について−伊那開善寺を中心として−
日本禅宗史の一側面を物語る聖教奥書三則
初期妙心寺史の二三の疑点
初期妙心寺史研究補遺
大徳寺の歴史
播磨大蔵院考
建長寺と円覚寺の異同
中世前期の美濃に於ける禅宗の発展
仏国国師小伝
相国寺開創春屋妙葩の生活観人生観
妙興寺の法系と本末関係
公帖考
室町時代後期の学僧彭叔守仙伝に就ての新説
一休宗純皇胤説の再確認
建長寺の歴史
慈照寺と慈照院
徂徠と黄檗僧
蘭玉の階庭
蘭渓道隆と樵谷惟僊との交友関係の変遷
知られざる禅僧たち
『絶海年譜』に就ての一疑義
伝戒伝法考
『蔭凉軒日録』研究史の概略
新たに見出された曇芳周応の頂相
論文著作目録/自歴譜
南江宗ゲン伝に就ての一疑義
陵禅会の功徳
まごころの光風
近親の死
日本仏教の問題点
索引雑感
禅宗に於ける異端の問題
信州−大陸、文化の軌跡 帰化僧
五山文学に魅せられて
五山文学新集校刊記
日本僧の群参した宋末元初中国禅林の諸会下
法系の研究方法に関する一見解
臨済宗幻住派
吉川元長の信仰と周伯慧雍の宗風
日本中世禅林に於ける臨済・曹洞両宗の異同
『雲巣集』と『群玉ケイ枝』
空華日工集考−別抄本及び略集異本に就て−
禅の典籍
禅僧筆録日記の拾遺
『碧山日録』記主考
五山版『感山雲臥紀談』の伝承について
『諸偈類要』をめぐる諸問題
教団史的に見たる宋元禅林の成立
五山禅林に於ける朋党的弊害
中国仏教と禅
足利義持の禅宗信仰に就て
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