新出資料「信心銘拈提字処」について 2−万回一線選「信心銘拈提字略」との比較論−
禅僧より実業家へ転じた田倉岱洲
SHENHUI AS EVANGELIST:RE-ENVISIONING IDENTITY OF A CHINESE BUDDHIST MONK
敦煌本《檀経》的仏教引述及其在慧能禅法中的意義
関于敦煌本《檀経》的幾箇問題
唐代禅宗的西域流伝
敦煌的斎会
図学と製図
神会の語録に見える「看」と「見」
上野国への臨済禅の流入と展開
初期禅宗系寺院の成立と展開
地方五山派寺院の成立と壇越
上野国への曹洞禅の流入と展開
中世上野国における曹洞宗寺院の成立と展開
地方武士団の曹洞禅受容
戦国初期における禅僧の倫理思想
寛永の諸宗末寺帳(曹洞宗)について
近世曹洞宗の本末制度について−武蔵国竜穏寺と上野国補陀寺の争論を例に−
寺院本末争論と裁定基準−上野国竜華院と相模国清原院の争論を例に−
グリーフケアと葬送儀礼
『碧巌録』評唱に見る圜悟の解釈学
禅者の航海−『碧巌録』第九十八則をめぐって−
宝公・才公禅師塔銘の紹介
宋代における「華厳禅」の展開−子?Kの『起信論疏筆削記』を中心として−
嘉興続蔵所収『大方広仏華厳経疏演義鈔』の較刻と葉祺胤
『禅門諸祖師偈頌』の文献的考察
禅籍の校讐学
「中」の立場の探求−西谷の宗教哲学−
孝服と禅僧−『禅苑清規』尊宿喪法をめぐって−
道元禅師の伝記と切紙資料について−室内関係資料を中心に−
道元禅師在宋中のこと
道元禅師における嗣法観について
道元の活動と栄西門流−建仁寺出身僧としての立場を踏まえて−
道元禅師と宝山禅師の坐禅思想−新たなる両祖一体論の創出をめざして−
『洞谷記』と永光寺教団
禅宗と律宗との関係について−鎌倉初期、俊?オ関係資料を中心として−
在家喪法成立過程の一考察
大徳寺塔頭について−三好長慶・千利休と聚光院−
関山派の密参録文献について
曹洞宗における僧侶の婚姻と性差別
南宋禅をどうとらえるか
宋・元・明の間における禅宗変容の構造的解析
宋代叢林の矛盾と超克−大慧看話禅の二重構造−
宋代禅思想の大系化
看話・黙照の位相−宋朝禅から道元禅への展開−
天台宗山家派と禅宗との交渉
華厳教学の与えた宋代禅宗への影響−首楞伽経信仰形成への要因−
安史の乱前夜の仏教界と禅宗
宋代宮廷の葬送と禅宗教団
楊億研究−「殤子述」を読む−
黄庭堅の芸術と禅
烏瑟沙摩明王信仰研究試論−中国民衆のとらえた仏教−
身と性−「悟真編」禅宗歌頌小論−
禅者の日中交流−宋代禅宗と日本禅林−
唐代禅籍の宋代刊行について
敦煌出土チベット文マハーヨーガ文献『金剛薩?B問答』和訳
サムエ宗論の研究−敦煌文献を中心として−
北宋期の達磨観
禅宗の先駆−求那跋摩三蔵の伝記と遺偈−
『法句経』の諸本について
後姿の尊さ
経験・生命・禅-西田哲学への一視点-
鈴木大拙の禅経験とその思索
大拙は禅をどう見たか
大拙と時代・社会
鈴木大拙における思想
久松真一−禅歴を巡って−
久松真一の禅と「人間」
無神論としての現代−久松真一の現代理解−
「覚の哲学」の諸問題-久松真一の思想-
西谷啓治の禅歴
禅とキリスト教-西田・大拙・久松・西谷の場合−
ことばと禅
ことばと神秘主義
ことば−あるいは実存と虚存と
ことば−その「虚」の力
経験とことば
場所−見えない二重性(虚空と原世界)
場所とことば−虚空/世界における「対−話」
「彼一語 我一語 秋深みかも」
連句形式と禅問答
山頭火と放哉−「自由律俳句」詩人と仏道
わが「道草」の道−「私の個人主義」と「則天去私」の間
夏目漱石−「『道草』から『明暗』へ」と宗教
最近(戦後十余年間)の道元に関する研究について
北宋期の知識人と禅僧との交流
ペンタ・レンマとカタストロフィー
人格の恒常性とその法則
歴史的現実の恒常性
知覚的恒常性と自己の恒常性
東洋の英知と西洋の知識の統合
証悟の世界とシンメトリー
レンマ・セラピー(レンマ・カウンセリング)の原理
脱落の心理論理(サイコロジックス)
禅療法における因果の概念
禅の心理学
禅カウンセリング・禅セラピーの理論と実際
EXPERRIMENTAL PSYCHOLOGICAL STUDIES ON ZEN AND ITS CONTRIBUTIONS
真理の体現者 道元
仏教思想上における道元

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