木菴禅師語録(十八巻語録)抄
宝慶記真偽問題
「宝慶記」研究回顧
「普勧坐禅儀」御撰述年代と其重大性
普勧坐禅儀御真筆本について
学道用心集考
古写本『学道用心十則』について
『永平広録』考
永平清規
長円寺本正法眼蔵随聞記の本文について
『正法眼蔵随聞記』の史料的性格
『傘松道詠集』の名称・成立・性格
道元禅師傘松道詠の研究
道元禅師滅後の永平寺僧団について−『御遺言記録』の史料価値−
仏教史上に於ける道元禅師
宋代禅宗史より見たる道元禅の位置
永平高祖の見性批判について
道元の『六祖壇経』批判
五老峰建立とその意義について
道元の宗教の歴史的性格
道元禅成立の時点について
日本仏教
花山院宰相入道について
道元禅師の鎌倉行化に就いて
道元の鎌倉行化について
鎌倉への下向、北条時頼との対決
鎌倉行化
鎌倉の道元
道元禅師の遺偈と鎌倉行化
道元禅師示寂前後と其の御死因
道元禅師最後の御病の建撕記記述について
生活十訓
道元僧団における遺偈
道元禅師の外護者覚念
道元禅師の示寂地について
木菴和尚瑞聖寺語録
眼蔵編集史の研究
道元禅師の正法眼蔵親輯論
永平寺十二巻正法眼蔵に就いて
「正法眼蔵」の成立に対する一私見
正法眼蔵編成上の問題
正法眼蔵の編集について
正法眼蔵の伝承とその成立
『正法眼蔵』撰述示衆年代考
金沢文庫本正法眼蔵に就いて
金沢文庫本正法眼蔵(三百則)の書誌学的立場
真字正法眼蔵について
続禅と日本文化
如浄禅師示寂の周辺
東来集(抄)
建仁寺留錫時代
族縁から観た正覚尼公と道元禅師-極楽寺の地勢、千有余年の極楽寺興聖寺開創の縁由-
興聖寺の寺名および開創の意義について
深草・興聖寺とその寺跡
道元の勧進について−観音導利院僧堂勧進疏の史料価値−
道元禅師と檀越波多野氏について
瑩山禅師と儀軌
孤雲懐弉禅師伝について−興聖寺時代の行実−
「正法眼蔵随聞記」と日本達磨宗
日本曹洞宗に於ける大日能忍の達磨宗の消長−徹通義介をめぐって−
護国正法義の撰述と正法眼蔵
後嵯峨天皇と道元禅師
北越入山の真相
道元禅師の立宗と叡山の対応
道元禅師と北越移錫の真相−道元の決断と白山天台の影響−
道元禅師の入越後の動静
道元禅師志比庄下向の背景
永平寺移転説および非移転説と筆者の立場
越前永平寺の伽藍配置に就いて
道元とその教団
黄檗木菴禅師語録 12巻
懐鑑門下と永平寺
道元禅師の僧団に対する意識について
道元の宗教の歴史的性格−在宋中の行実と思想発展−
道元禅師の在宋修学の行程
道元禅師の在宋中の動静
道元禅師の在宋中の行実−五台・天台山参拝にちなんで−
江南禅林の期待と道元の活路
道元禅師と金剛三昧院隆禅
中納言法印隆禅について
仏教者の戦争責任
源実朝の入宋企図と道元禅師
道元入宋の経済的背景
道元禅師入宋時の従者について
高祖道元禅師伝考−新到列位の問題をめぐって−
高祖道元禅師伝研究−戒牒に関する問題−
如浄・道元禅師の相見-「御遺言記録」を中心にして-
「面授」と「脱落」について
道元禅師の「入宋伝法」
道元禅師の大梅山の霊夢の意味するもの−宝慶元年の北帰行−
道元禅師の疑団と開眼と心身脱落-勝義の自伝として書かれた<現成公案>-
「心身脱落話」の意義とその歴史的展開
道元禅師在宋中の軌跡
永平道元と碧巌録−一夜碧巌の道元将来説について−
道元禅師と碧巌集
再び道元禅師の一夜碧巌将来について−鏡島元隆博士の高説に答える−
道元禅師の宋よりの帰着地について
遠羅天釜(現代語訳)
夜船閑話(現代語訳)
白隠と仏教健康法

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