六波羅探題発給文書の研究−北条重時・時盛探題期について−
両統迭立期の院宣と綸旨
近江国柏木御厨と金沢北条氏・山中氏
近江国葛川にみる青蓮院・無動寺の支配機構
江戸の日用座と日用=身分
北条早雲と三河武士
受給文書 補遺(4342〜4346号)
「戦国遺文 武田氏編」への期待
小山田備中守(虎満・昌成)について 正続
戦国甲斐の凶作情報を読む
秋山伯耆守虎繁について
武田氏の伊那郡御園郷検地帳
鎮西の動乱 天下三分の縮図
武田信玄の人間像
「其城普請」の城名を推理する
河東一乱終息の顛末
武田勝頼と信勝
永禄九年徳政令の可能性
甲越和与の発掘と越相同盟
武田家朱印状 年未詳(3746〜3776号)
諸氏年未詳文書(3777〜3972号)
穴山勝千代文書(3973〜4009号)
武田氏受給文書(4010〜4123号)
人名索引,地名索引
桶狭間合戦と「義元定書写」
足利義晴による河東一乱停戦令
戦国期東国諸氏の元服時期について
真里谷武田信嗣をめぐる婚姻関係
鶴谷八幡宮の棟札に見える小屋奉行
原文書「千葉胤富覚書」について
房総戦国史における天正十四年の位置
井田文書における「北条氏政軍役割付状」についての覚書
秀吉の右筆と大村由己・興山上人
初期太閤検地について —天正十一年今在家村検地の斗代をもとに—
肥後加藤氏の二つの検地(帳)と領知高 —現説への基本的な疑問と↓
豊臣期給人知行権の一考察 —安良城盛昭氏『太閤検地と石高制』↓
豊臣政権化下の水論と村落 —天正二十年の摂津の水論を中心に—
豊臣秀吉の日本神国論 —キリシタン禁制をめぐって—
キリシタン禁制をめぐる天皇と統一権力-統一政権成立過程における-
『天正記』から『太閤記』へ —近世的歴史観の発生—
北条氏家臣石巻氏系譜考
伊勢宗瑞と関右馬允春光
香山寺と早雲庵
北条氏忠と相模新城
「葛西様」と「鎌倉様」-古河公方足利義氏の一断章-
北条氏尭と氏忠・氏光
曹洞宗王叟派の展開と北条氏繁
大石秀信について
北条氏照朱印状の改印年代−「如意成就」から「印文未詳」印への改印時期−
大藤秀信と同政信
吉良氏朝の系譜
新出文書に見える清水小太郎吉広の所領形態
復元された三浦家文書
畜産篇
金森寺内町について —関係史料の再検討—
伊勢大湊と織田政権
柴田勝家の越前検地と村落
天正三年織田信長の徳政について
天正八年の大和指出と一国破城について
本能寺の変拾遺 —『日々記』所収『天正十年夏記』について—
西を限る西岸
織田政権と足利義昭の奉公衆・奉行衆との関係について
織田信長と朝廷
信長における「外聞」と「天下」について
織田政権期における「天下」について
織豊政権論
「関東・奥両国惣無事」令について
石田三成の近江佐和山領有
天正十九年豊臣政権による御前帳徴収について
豊臣政権の尾張支配
木下秀吉の文書についての補説
秀吉の唐入りに関する文書
豊臣秀吉の対外出兵について —その戦域に関する序説—
第一次朝鮮侵略における秀吉の占領政策について
景轍玄蘇について —一外交僧の出自と法系—
豊臣秀吉の朝鮮侵略戦争における朝鮮人民の動向について —特に↓
豊臣政権の基盤
太閤検地の斗代について
門体制の構造と領主制
在家体制より門体制への移行
浮免についての一考察 —在家の進化と関連して—
戦国大名島津氏の軍事組織について —地頭と衆中—
戦国大名島津氏と老中
豊臣政権と島津氏
幕末藩制改革
梅北一揆の歴史的意義 —朝鮮出兵時における一反乱—
薩摩の太閤検地に関連して
薩摩藩の太閤検地について
三宅国秀の琉球遠征計画をめぐって—その史料批判と中世日琉関係史↓
「あや船」考 —島津氏琉球支配への経緯—
戦国時代における地方文化と京都 —領国文化の構造をめぐって—
上井覚兼の信仰 —とくに晩年を中心として—
上井覚兼日記に就いて
島津家文書の成立に関する一、二の考察
国語資料としての古記録の研究 —近世初期記録語の例解—
織田豊臣時代の時代区分について
信長の出現と中世的権威の否定
織豊政権の商業・都市政策
織田政権の権力構造
初期の織田氏

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