石山合戦和睦交渉における公家の役割
〔講演録〕仏教の二つの流れ−自我と無我−
浄土の意義(第41回 光華講座)
カンガンハリ遺跡から出土した「ブッダの誕生」図について
「五悪団」の成立と「浄土」の語
言葉の向こうに開ける大乗仏教の原風景−経文に見える大乗、一闡堤、観音、浄土の本当の意味−
「リグヴェーダ」を読む−ヴァイスィシュタとヴァルゥナ−
万葉集巻19の表記をめぐって 3-「俗中」と「よのなか」
近世真宗東派における仏教知の展開−正統教学確立と異安心事件をめぐって−
カンガンハリの「初転法輪」図について
「光華抄」を読む
アメリカにおける仏教受容
大悲・宿業・無碍
真宗の宿業観試論
信仰言語としての宿業
真宗の教学における宿業の問題
宿業の問題
宿業は差別する罪業
教観大綱
親鸞とその門下における「師」と「善知識」
現代社会と真宗教義−異文化間教育とのかかわりの中で−
仏教−智慧慈悲の世界−
宗教と文化−西田幾多郎とポール・ティーリッヒ−
真宗における講の研究−親鸞から現代へ−
講題「人の道・仏の道」−NHKラジオ〈宗教の時間 II〉
青少年・医療・真宗−真宗の現代的意義
親鸞聖人二十九歳・叡山下山の理由
唯識と聞法
念仏者・中村久子−人間となる歩みによせて−
他力の心理臨床
仏教の心理学と瞑想
生きることの物語(第32回 光華講座)
自力から他力へ−私の歩んだ仏の道−(第33回 光華講座)
寺院地域福祉活動の可能性−セツルメント光徳寺善隣館の実践に学ぶ−
谷本富「新教育論」における<生命>−生命としての宗教/生命としての雄弁−
「大乗荘厳経論」「真実品」にみる勝義について
発掘「歎異抄」(第34回 光華講座)
真宗関係浄瑠璃の発祥−東西本願寺・「しんらんき」・商業出版(第35回 光華講座)
横超の仏道−親鸞思想における覚醒の内実−
校訓「真実心」を考える
山頭火ノート
漢語サ変動詞考−その特殊相−
「きく」ということ
ミャンマーにおける最近の仏教儀礼−地鎮祭とパターン祭−
西洋における東洋的なもの-チベット仏教と浄土真宗-
親鸞聖人は嘘吐きか-極楽浄土と臨死体験の今昔-
真宗大谷派声明《伽陀》の研究-音楽とその周辺-
仏教における心の理解と瞑想
女子青年の宗教意識-アンケート調査による-
基調講演 真宗文化の創造(第22回光華講座)
真宗文化の創造−社会思想の立場から−
真宗文化の創造−真宗教学の立場から−
真宗文化の創造−日本伝統文化との比較において−
真宗文化の創造−その宗教的基盤−
仏教の原点とは何か−釈尊の「真宗」−(第23回光華講座)
親鸞聖人の往生観−往生から願生へ−(第24回光華講座)
『無量寿経』と親鸞(第25回光華講座)
真宗文化とシンクレティズム
誓願の流れを汲みて−近代生活と安心−
「凡夫」ということば
親鸞に想う
生きとし生けるもの
「真宗文化」の展望−その研究領域についての覚え書き−
「国際化」と仏教(第6回光華講座)
生きることの意味(第7回光華講座)
親鸞聖人伝絵講話
正如房へつかはす御文−式子内親王と法然上人−
白色白光(学生レポートより)
「聞く」ということ(第8回光華講座)
宗教の世俗化と日常化−生活文化の特質−(第9回光華講座)
日本仏教とファミリズム
中世の女性と仏教をめぐって
蓮如「末代無智の御文」に聴く
自分という人間について
中世における真宗の社会基盤(光花講座 12)
真宗が甦るために(光花講座 13)
行証の問題
蓮如上人と毛坊主(第15回 光華講座)
日中戦争下北京における中国女子高等教育の試み
看取りからの学び
ビルマ(ミャンマー)仏教徒の生活と信仰-1998.3のアンケート調査から-
真宗の老死観−「歎異抄」第九条を中心に−
真宗の儀礼−本願寺声明の実際−
「妙好人論」再考
密教儀礼の構造と意義
妙好人の世界
近代真宗への過程−島地黙雷を軸に−
清沢満之の教学的陥穽-「精神主義」における二諦的問題-
野々村直太郎の教学−『浄土教批判』をめぐって−
曽我量深の思想
西本願寺教団と初期水平社
近代真宗出版年表
人間と宗教
釈尊の伝記
釈尊の教え
大乗仏教の教えと経典
仏教と美術
親鸞の生涯
親鸞の教え
真宗の歴史

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