九条関白兼実公六百五十回忌施入浄土三部経
中世後期の仏堂の世俗的機能について
「知らない、知らない、知らない」
山背嵯峨野の基層信仰と広隆寺仏教の発生-古代的心性における治水と樹木伐採-
持統天皇の呼称に関するの一考察
「高良縁起」の成立年代について-初期神仏習合論の観点より-
三十三間堂創建説話と因幡堂
法華信仰にみる護法童子-「大日本国法華経験記」を中心として-
佐々木馨著「中世仏教と鎌倉幕府」「執権時頼と廻国伝説」
八幡神職団宇佐氏の成立
「称辞竟奉」考-祭られる神と祭る人との関係-
興福院創建期の本尊と薬師寺講堂薬師三尊像
霊巌寺型妙見菩薩像とその遺例
MUROJI:A CONTEXTUAL ANALYSIS OF THE TEMPLE ITS IMAGES
安藤昌益の本覚思想 上中下−神仏習合と自然の神道−
中世熱田神宮司職の補任について
中世前期の青蓮院門跡における護法童子信仰の受容
唐招提寺所蔵金亀舎利塔と実範
北陸時衆について−長崎称念寺の変遷を通して−
ことばの創造性
真宗教学における「真俗二諦」の意義
千厩町時代の波多野先生
道中日記にみる金毘羅参詣経路-東北・関東地方の事例-
女人高野としての室生寺の問題
平安時代の出家と離婚について
常世神考
特別展「懸仏の世界」について
道教と日本宗教文化
典籍の改竄-大学図書館蔵「端坊本「歎異抄」」の場合-
神社の祭礼と文化伝承-近江国愛知郡押立神社の場合-
崇徳院怨霊と後鳥羽院怨霊の交錯-「保元物語」崇徳院怨霊譚の形成-
高田寺の所在地について-高田首氏の本貫地を中心に-
武蔵型板碑に関する覚書き-釈迦種子板碑の造立に関して-
「南法華寺古老伝」に見る「日本感霊録」の逸文
僧法蓮と「豊国」-法蓮伝承の検討を中心に-
氏子戸籍帳による近世末期社会の復元-明治6年「三輪神社氏子戸籍人員改帳」を通じて-
「歎異抄」と親鸞の思想の異同に関する一考察-「本願ぼこり」を中心に-
禹歩・反閇と尊星王・六字明王の図像
肥後国阿蘇谷の荘官平景俊奉納の懸仏-新出史料の紹介を中心に-
日本仏教の展開
[応問]悟性と理性との解
スピノーザに関する一新著
山椒大夫
時計の比喩に関してゲョーリンクスとライブニッツとの差異
十八世紀の仏国に於ける感覚論と唯物論(我邦の哲学界に流布する歴史上の一大謬見)
唯物論は果たして感覚論の必然的帰結なりや
十九世紀の独逸哲学大家
小田切君の批評に答ふ
ソクラーテス以前の哲学研究の材料
歴史の意義に関して ギリシア思想とヘブライ思想と
ソフィストとソクラテス
プロティノスとカント 宗教哲学の二つの任務
カントの宗教哲学について
ケーベル先生追懐
三木清君について
序文 6編
波多野先生の横顔
一つの像
病床を憶う
「波多野精一全集」の完結にあたって
書簡
日本宗教文化史研究は、1004-0030に図書整理。
辛嶋氏系八幡神権現伝承に見る大和神幸
居士仲廉(仲広)撰「日本名僧伝」玄ホウ条逸文の再検討
臨終出家の成立とその意義
崇敬寺(安倍寺)と鎮守白山神社について
道教
パウロの生涯
パウロ
波多野精一先生のこと
西洋宗教思想史(希臘の巻)
宗教哲学の本質其根本問題
宗教哲学序論
恩師波多野先生
「時と永遠」の英訳をめぐって-故マイケルソン博士のこと-
外国人のみた波多野哲学
宗教哲学
時と永遠
波多野先生の思出
千厩時代の波多野精一先生
波多野先生の晩年−玉川学園での御生活
アナキシマンデルの「コスモス」
カントの三段論法に就ての意見
カント倫理学説の大要
哲学の主要立脚地の概観
蟹江義丸氏著「西洋哲学史」を読む
ヒュームのカントに及ぼせる影響
哲学史漫録
「ディズム」と「シィズム」との差異
片々録
フィッシャー氏のカント
崇教真光−組み手による想念の大建念の大建て替え−
いじゅん−沖縄の精神母体から普遍的世界へ−
ス光光波世界神伝団−スの光と劇画のメディア−
オウム真理教−尊師と出家たち−
ワールドメイト−精神産業としての宗教−
日本聖道教団−エレパで地球を救う−
エホバの証人(ものみの塔聖書冊子協会)-ハルマゲドンと輸血拒否
モルモン教会(末日聖徒イエス・キリスト教会)-厳しい法律と宣教組織-
イエスの方舟−徹底した思想と実践の共同体−

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