犬養先生の思い出
鴨の羽交の霜
犬養孝氏と万葉風土
大伴旅人の名をめぐって
万葉旅情私記
序論−万葉における虚構の意味−
壬申の乱の周辺(動乱・遷都・謀反)
遷都−近江遷都と三輪山哀別歌−(動乱・遷都・謀反)
謀反−大津皇子の悲劇を中心として−(動乱・遷都・謀反)
仙女への恋−大伴旅人−(恋・旅・死)
恋−大伴家持を中心として−(恋・旅・死)
「いにしえ」の見える場所−人麻呂の羇旅歌−(恋・旅・死)
旅と抒情−黒人・赤人への過程−(恋・旅・死)
人麻呂文芸における「死」(恋・旅・死)
恋男子名古日歌の反歌二首
佐保の内の万葉歌人−文学のサロンとその政治的背景−
家持における風土
み吉野の滝・玉藻刈る海人娘子−笠金村について−
標章伝承についての試論
「畳薦牟良自が磯の離り磯の」−防人歌に於ける枕詞と序詞−
高橋連虫麻呂歌集について−不尽山歌の左注「右一首」−
万葉集歌三首贅注
三笠の月、春日の月
万葉殯宮考−城上の宮・序説−
ある女の一生−「有明けの別れ」中務卿宮北の方−
「こまがさうし」をめぐつて
光源氏の須磨・明石体験について−その浄罪ならびにイニシエーション的シンボリズムのモチーフをめぐって、文化的記号論の立場から−
老莊哲学
狩谷?f斉本『十訓抄』および加藤千蔭本『十訓抄』の本文の性格について
『亀山院御集』の編集期と編者
梅月堂宣阿と『新勅撰抄』
中ゥ芝居の位置−道頓堀 1789〜1829−
樋口一葉とオノマトペ
落合寅市に関する新史料−飯塚家文書を中心として−
文章作法を作る
私の万葉旅行
「おしてる難波」をめぐって
筑波山紀行
方向音痴の現地調査
正岡子規
道臣命と諷歌(そへうた)
犬養先生の授業
安騎野の歌
初めてお会いした日のこと
詩魂の万葉
浜木綿に魅せられて
万葉に酔う
犬養孝先生の万葉風土学
仰げば尊し我が師の恩
仰げば尊し 我が師の恩
初期万葉旅行の頃
泊瀬の山
生きた『万葉集』
飲水思源
花つ妻なれや
声にだしてよむ万葉歌
犬養先生にみちびかれて
降りしはだれか
犬養先生三題
恩師 犬養孝先生
「君が齢もがも」
犬養先生のハワイに於ける万葉講演
犬養先生の米寿をお祝いして
人麻呂における「いにしへ」−み熊野相聞歌をめぐって−
万葉歌の配列−人麻呂集「春雑歌」をめぐって−
人麻呂歌集旋頭歌の文学史的意義
古代婚姻歌の原則
吉井勇
赤人の潮干の道考
天地と長く久しく−旅人吉野讃歌の表現の一面−
蘭亭叙と梅花歌序−注釈・そして比較文学的考察−
哀別と離苦と−旅人の亡妻哀傷歌群の制作の意趣をめぐって−
松浦河に遊ぶ序−追和三首の虚構性と作者−
過往の<遊>−憶良「沈痾自哀文」−
高橋虫麻呂にとっての伝説−「詠水江浦嶋子」歌を通して−
あはれその鳥−高橋虫麻呂の霍公鳥詠をめぐって−
沈黙の和歌−遣新羅使歌群を中心に−
大友家圏の歌−類歌から考える−
幻視−家持の表現 1−
家持の春愁の歌−その表現をめぐって−
葦垣のホカに嘆かふ
天の原富士の柴山
東歌の「景」表現−天象と気象を通して−
「からまる君を別れか行かむ」の歌の解−万葉集における「君」の意味・用法−
防人歌の場−武蔵国の場合−
恋のうわさ
言語遊戯としての枕詞−「生命指標(らいふ・いんできす)」説は成り立つか−
都城の景観
和歌の浦の景観
竹田と神島
菟餓野の鹿と夢野の鹿
「難波長柄豊碕の宮」考
ピョードル・グーシェフ先生
伊藤裕先生とG・ヴァシャヘーリ先生
「会心処」の由来
世界のダンサーの“父”・ルイジ
永遠の師−山田抄太郎先生を想う−
うちの先生のこと
師から師へ
私を導くもの

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