教舜記「十八道口伝鈔」二巻について
世界大戦の由来と其の影響
真宗密教における観法についての−特に大日経疏を中心として
近代の真言宗智山派における実子相続論議について
口の疏に現われたる薄伽梵の解釈に就て
金剛頂経における十六大菩薩の出土について
性理学(心学)の系譜
台密の教相
長崎開港と浮世絵版画
仏教行事と地域社会の関連について
僧肇における仏教信仰の特徴について
二匹の蛇の食い合
仏性の密教観より安心問題−曼荼羅思想の発想へ−
江戸時代の触頭制度について−特に真言、天台、浄土宗を中心に−
幼童の稽古−東京大学史料編纂所蔵「連々令稽古双紙以下之事」にみる文学書・付影印−
七箇の荘園に就て
中世智積院の成立に関する一試論−智積院新文庫蔵「通解抄」を手懸かりとして−
法寳の一乗観−『一乗仏性究竟論』「一乗顕密章」を中心に−
覚鑁上人の史的位置
密教と民間信仰との関係−東北地方の一山寺院を中心として−
院政期浄土教と十二光仏
華厳思想と即身成仏
中世根来寺伽藍の成立−高野山大伝法院から根来寺大伝法院へ−
現代僧侶非難に対する批判
中世における仏教教育 3 親鸞の場合
インド・中国・日本の仏教教団−教理と教団
圓測の一乗観−「解深密経疏」における三乗と一乗の平等性−
甲斐の木喰-八宗一見と阿字観-
『孝養集』と良忠撰『看病用心鈔』について−臨終行儀をめぐって−
紅の滝
卍字愚考
明治初期の僧風動向について
「無相至極」における加持身説について
釈摩訶衍論における真如門と生滅門
『理趣広経』の二種の偈頌について
血尿に就て
陳那の認識論−比較思想の視点から−
三昧と阿闍梨−三昧と生活規範
近世真義真言宗の寺格に関する一考察−関東十一談林を中心に−
「大宗地玄文本論」と「釈摩訶衍論」の関係について
『法華経』における「加持」の概念
六大の六と云う字に就て
インド教徒の信仰態度
真言密教求道者の「−生の心−」:「本不生」私解
「即身成仏義」の背景
釈尊のサンガは存在したか−「現前サンガと四方サンガ」序説−
本居宣長の古道論について
<五相現等覚>ノート−JNANAPADA流成就法を中心に−
藤津荘と仁和寺成就院-覚鑁伝をめぐって-
般若理趣経の註釈的研究 2 初段・第二正説分
就学前教育小史
理趣経と理趣経法
神話の国の仏たち
既成教団と寺院の存亡をかけた一考察−家の宗教は誰が守ってゆくのか?−
宋代の華厳宗に関する一考察
「大日経」の五十字門の性格
印度哲学宗教史上に顕われたる「我」思想の発達史的考察
ジャガナータのまつり
「智光明荘厳経」の説く三身説−如来の利他行の用らき(第四真理命題)の意味内容−
「真言密教における行位体系」について-小野流と広沢流の潅頂について-
VAJRA考補遺−ナーラーヤナの周辺から−
MANJUSRIMULAKALPA.PALM.MSについて−NATIONAL ARCHIVES 所蔵 OLD NO.5.814(NEW NO.64)−
哲学の隠喩系−「事実性」という概念の正体−
「大日経」具縁品について
神社崇敬と仏教との関係
甲谷陀より
仏教より観たる危険思想
菩薩道の実現
昏迷より光明へ
国民思想と書道との関係
宗教法案の一考証
仏教徒より見たる神社問題(神社と宗教問題批判)
自由の哲学−自我は即ち自由なり
所謂学校騒動に就て−特に宗立学校の紛議を悲しむ
反宗運動と真の宗教
関東大震火災拾周年に就て
大難に遭はざれば大成せず
新大乗仏教を宣説せよ
心神夜夜晴
昭和維新と仏教大乗精神
秀歌を読む喜び
対支思想批判−平等と差別
国家対仏教の二問題
危険思想に対する仏教的批判
慎重なる研究
木村博士の新大乗運動及び野依宗徒を評す
恋の西行
捨に就いて
禅機と修養
大谷大学の紛擾と宗務当局の責任
反宗教同盟に就て
先ず食を与へよ
日本歴史の特色
降誕会法話
米英ユダヤの機密と謀略−仏教家はユダヤ思想絶滅のため奮起せよ
過去五十年間の政教関係に就て
新春の劈頭教界に嘱す
思想界の危機と仏教徒
山岳より見たる支那の宗教と文学
阿那律尊者

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