北条氏忠と相模新城
「葛西様」と「鎌倉様」-古河公方足利義氏の一断章-
北条氏尭と氏忠・氏光
曹洞宗王叟派の展開と北条氏繁
大石秀信について
北条氏照朱印状の改印年代−「如意成就」から「印文未詳」印への改印時期−
大藤秀信と同政信
吉良氏朝の系譜
新出文書に見える清水小太郎吉広の所領形態
復元された三浦家文書
畜産篇
金森寺内町について —関係史料の再検討—
伊勢大湊と織田政権
柴田勝家の越前検地と村落
天正三年織田信長の徳政について
天正八年の大和指出と一国破城について
本能寺の変拾遺 —『日々記』所収『天正十年夏記』について—
西を限る西岸
織田政権と足利義昭の奉公衆・奉行衆との関係について
織田信長と朝廷
信長における「外聞」と「天下」について
織田政権期における「天下」について
織豊政権論
「関東・奥両国惣無事」令について
石田三成の近江佐和山領有
天正十九年豊臣政権による御前帳徴収について
豊臣政権の尾張支配
木下秀吉の文書についての補説
秀吉の唐入りに関する文書
豊臣秀吉の対外出兵について —その戦域に関する序説—
第一次朝鮮侵略における秀吉の占領政策について
景轍玄蘇について —一外交僧の出自と法系—
豊臣秀吉の朝鮮侵略戦争における朝鮮人民の動向について —特に↓
豊臣政権の基盤
太閤検地の斗代について
門体制の構造と領主制
在家体制より門体制への移行
浮免についての一考察 —在家の進化と関連して—
戦国大名島津氏の軍事組織について —地頭と衆中—
戦国大名島津氏と老中
豊臣政権と島津氏
幕末藩制改革
梅北一揆の歴史的意義 —朝鮮出兵時における一反乱—
薩摩の太閤検地に関連して
薩摩藩の太閤検地について
三宅国秀の琉球遠征計画をめぐって—その史料批判と中世日琉関係史↓
「あや船」考 —島津氏琉球支配への経緯—
戦国時代における地方文化と京都 —領国文化の構造をめぐって—
上井覚兼の信仰 —とくに晩年を中心として—
上井覚兼日記に就いて
島津家文書の成立に関する一、二の考察
国語資料としての古記録の研究 —近世初期記録語の例解—
織田豊臣時代の時代区分について
信長の出現と中世的権威の否定
織豊政権の商業・都市政策
織田政権の権力構造
初期の織田氏
楽市場と楽市令
石山合戦における近江一向一揆の性格
地質学篇
天正末期毛利氏の領国支配の進展と家臣団の構成−「八箇国御時代分限帳」の分析を中心にして-
豊臣期における毛利氏領国の農民支配の性格
毛利氏天正末惣国検地について
長曽我部古地検帳の研究
長宗我部掟書の諸伝本とその系統
土佐国大忍荘の専当について
香宗我部氏の研究
土佐の国人大平氏とその文芸-室町文化荷担者の一相-
戦国期土佐国津野荘民の伊勢参宮と荘頭の港町須崎再考
長宗我部検地について —その太閤検地との関係—
長宗我部検地について(続) —長宗我部権力と検地—
村キミ(君)考 —浦方における解体期の名の構造—
山中文書の一研究 —近世土佐の山方における被官—
天正期の阿波国祖谷山一揆について
内湾干拓新田の歴史地理学研究
豊臣大名城下町としての大高坂城下町
長宗我部氏時代の城下町
長宗我部権力の変質と一領具足
戦国・織豊期徳政の一形態 —土佐長宗我部氏の買地安堵・上表・↓
豊臣政権下の大名石高について —長宗我部氏石高考—
領主支配と開発の展開
地理学篇
加賀一向一揆の歴史的前提
加賀一向一揆の発生
堅田一向一揆の基礎構造
守護畠山氏と紀州「惣国一揆」 —一向一揆と他勢力の連合について—
湖東の門徒と元亀の起請文
寺内町今井について
畿内寺内町の形成と展開について
永禄6年一向一揆と松平氏-権力構造変容の一側面-
百姓・宗教・戦国大名 —中世から近世への移行をどうみるか—
「八箇国御配置絵図」について
石見銀山 —江戸初期にいたる—
大内氏警固衆の消長と毛利氏の水軍編成
戦国時代における安芸国一向宗の性格について—仏護寺を中心とせる—
毛利・小早川氏と真宗 —端坊の歴史を中心に—
戦国大名としての毛利氏の性格
戦国期大内・毛利両氏の知行制の進展
戦国大名毛利氏の権力構造
戦国大名毛利氏と地下人一揆

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