禅とカトリックの対話
海外の禅
情報社会の師弟はどこへ
情報社会の師弟はどこへ
師のひとこと−愛語は死をはらむ
求道の情景−「宝慶記」にみる如浄と道元
教える心学ぶ心
ぼくは父・林助の弟子だけど違う人間
心の中によみがえる亡父の言葉
良寛と愛語
菩薩の行願
風外慧薫
「仏壇信仰」について
悲しみを癒す−喪と仏壇
対談 わが道をいく
お釈迦さまの教え
仏教論理と矛盾
わが南伝仏教の旅
山頭火と乞食精神
仏教に教えられたこと
日本の中の世界宗教
遠野郷 伝承を歩く
座談会 若者は宗教に何を求めているか
座談会 若者は宗教に何を求めているか
石川素童
「観自在」に生かされて
禅と縄文
途惑い参拝記
禅とサーフィン
心に残る梅花の歌声
思い出で綴る梅花の45年間
御詠歌と坐の美しさ
御詠歌と歌謡曲 船村徹さんに聞く
御詠歌と歌謡曲 船村徹さんに聞く
御詠歌と詠讃歌の歴史
新曲ワンポイント・レッスン 正行御和讃・正行御詠歌のお稽古指針
道元禅師と女性
私の道元観
雲水の四季
さとりからさとりに続くさとり
木も草も石ころもみな同じだ
道元禅師の仏法と袈裟
只管打坐のこころ
私の好きな道元禅師の言葉
永平寺の寺宝
道元の言語世界
日本人と禅
アメリカ人と禅
ヨーロッパ人の仏教観
禅と現代
道元禅師の教育観
坐る気分
禅とインド体験
禅と私と体験
草笛禅師の青空寺
伝道の道はるか
永平寺参拝記
遠いふるさと−三国
永平寺別院探訪
精進料理の極意
禅がわかる20のQ&A
古仏の微笑・道元禅師の和歌
生きる時は生き、死ぬ時は死ぬ-対談 禅,原爆,シルクロード-
道元禅師の肖像−その生涯と思想
道元禅師とその生きた時代
道元禅師の門弟たち
高麗中期禅宗史−崔氏武臣政権下の教宗と禅宗の動向を中心に−
「禅門宝蔵録」の研究
北宋禅に於ける念仏と浄土
近世洞門における宗統復古の意義
洞上宗統復古運動における諸問題−明治八年の「布達」をめぐりて−
紹巴「匠材集」の一典拠について
「船ことば」(武者詞)についての一考察−風位名称を中心に−
『日本一鑑』の基礎的研究 3−名彙「事説」について−
西行・頼朝対面談をめぐって
「人間」功
楊仁山的仏教理念
曹洞宗中興存在江西−明清之祭曹洞宗史的流衍−
ヨーロッパの諸言語 1,2,
日本語教育における「書く」ことについて−課題と展望−
「東語入門」略注
「東語入門」中日対音考釈
少子化社会と教育力の低下について
禅源諸詮集四巻
イタリアにおける個別的解雇の基本概念について
「色葉集」(平仄)の本文対照一覧稿
「真名伊勢物語」翻字本文
禅学即今の課題
臨済義玄の人間観−「臨済録」おぼえがき−
ラオスの僧院−その瞑想法を中心として−
二程子学禅考
関山慧玄伝の史料批判
はた織りカビールの詩魂 真正の師匠(SATGURU)をめぐって
トーマス・マートンの修道院革新論
禅浄双修論
有部教義学における禅定
大燈国師下語の研究(続編)
宋版古尊宿語録調査報告
起信論の六染心
禅門口訣の研究(資料編)

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