カントにおける幸福の問題
法然浄土教における念と声について 1,2,
SAPIENTIAの宗教的意味について
メソディズムにおける制度化と分離
シュライエルマッハーとティリッヒ−両者の「宗教」概念の類縁性について
慈悲殺の賛否論をめぐって
アメリカ社会における日系新宗教の変容-日米解脱会を比較して
支那印官范道生 1,
宗教の理念と事実のあいだ
親鸞の著述に見られる天竺懺主の文について
中国禅と道元禅
ヴェーダ聖典の命令と神-ウダヤナの儀軌論をめぐって
マリアの年にあたっての教皇回勅とフェミニスト神学
山本良吉と宝山良雄−比較宗教人間学的に
禅と宗教哲学
ヨーロッパ的人間類型とその根底への問いかけ
上代の維摩講−万葉集巻八・1594番歌の背景
ホワイトヘッドにおける「時と永遠」
西田哲学における直観の意義
現代イスラム思潮の一側面−M.S.アシュマーウィーを中心に
「中論」における縁起のアポリア−比較思想的立場からの考察−
岩崎御嶽山霊神場に見る御岳講の現在
治療技術が捨てられるとき−ロボトミーの盛衰をめぐって−
北魏法難の研究資料について
場所の記憶と中心の再構築−沖縄意識の形成と観光という舞台−
レヴィナスにおける「身代わり」と「言うこと」
宗教テロとグローバル化−九・一一実行犯と背景をめぐって−
真宗における「二河譬」の宗教経験的意義
ウェーバーのエートス論と日本思想
宗教と絶対性について-宗教多元主義との関わりにおいて
宗教学の方法としての民間信仰・民俗宗教論
知的障害児巡礼の挑戦−ルルドにおける共同体イメージの多様性−
死をめぐる想念について
法華玄義と維摩教玄疏の教判論に関しての一考察
日本宗教の現代的問題
新約聖書に於ける人間
吉原和男、クネヒト・ペトロ編「アジア移民のエスニシティと宗教」
慈悲に関する諸問題-慈悲魔-
宗教研究をめぐる「現象」という理念
見性の神経機構の考察
加藤弘之の基督教批判
扶余陵山里廃寺址から出土した石造舎利龕銘文の諸考
仏祖録賛頌 1巻
カトリック教会共同体の多文化主義的マネジメント−現代日本における可能性−
人間的自由の現実について
キリスト教教育との相関関係について
生死即涅槃について
人の煩悩と社会の煩悩
S.キルケゴール「哲学的断片へのあとがき」の構成と成立について
沖縄・与那国島における水の神信仰について
一遍上人の名号思想-語録における名号の表現-
スピノーザ「エチカ」における様態の定義
大いなる然りの中に含み入れられた絶対無
シェリングにおける「悪」論の展開について
新羅時代の「七処伽藍之墟」について
解脱会の宗教的宇宙観
十王生七経の諸問題
「真実」の所在−善導・親鸞
宗教の神学としての宗教学−予備的考察
存覚の思想研究−特に仮名聖教を中心にして
「首楞厳経」・「円覚経」と道元の精神史的課題
A.ジャドソン「ビルマ語訳聖書」におけるパーリ仏教の影響-「マルコによる福音書」第1章
禅の生死観と聖書の死生観
戦後における日本仏教研究の動向について
聖化と非聖化(世俗化)
憑依宗教論
平安時代における自然とその領有
哲学者の浄土真宗観−西田幾多郎、田辺元、三木清をめぐって
臨済とヴィトゲンシュタインにおける「無依」の自覚
宗教と科学の関係史をめぐる一考察−近代イギリスを中心に
ドイツ敬虔主義と「規範」をめぐる問題
神宮寺についての一、二の問題
ナチズムと医師の犯罪−生命の守り手が抹殺者となるとき−
唐代における「金剛経」信仰と延命祈願
公共記憶と和解のために
F・ローゼンツヴァイクの思想における「世界」概念について
身体の脱植民地化−ハワイ先住民による生活世界の再聖化−
真宗における内観主義の如来概念−曽我量深の場合−
集合的宗教の諸相
哲学的神学の諸問題−啓示と理性をめぐって
キルケゴール「単独者」概念と北欧の古法
岸本能武太における「宗教」と「近代」
宗教、政治及び経済−バスチード宗教社会学の構想に拠りて−
歴史の宗教性について
神学に於ける宗教類型
鎌倉新仏教思想の一特色
メキシコ・メノーニタス文化の一考察
ヘーゲル哲学に於ける啓示の意味
ポスト・エリアーデ時代の宗教現象学とエリアーデ
パスカルのデカルト哲学批判について
キリストに依る世界−ルルド巡礼は同時代の問題にいかに応答してきたか−
明治以後の教育と宗教(1)
後鳥羽上皇の信仰
伊勢神道学発生の一基盤
沖縄漁民の宗教生活
浅原才市における信心と念仏
ソクラテスの宗教性についての一考察
宗教意識における「予示」の時間性について
D.ヒュームにおける人型神観と不可知論
中国古代の神統記−鯀・禹・啓三代の神話−

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