教祖伝と民衆宗教
納骨五輪塔奉納の風習と意義
タイのスピリチュアリティー−タイ仏教との接点に関する一考察−
ものを否定する、ものが否定する−形象と否定神学−
月本昭男著「古代メソポタミアの神話と儀礼」
津田雅夫編「<昭和思想>新論−二十世紀日本思想史の試み−
大乗仏教の正統性
池田昭著「ヴェーバーの日本近代化論と宗教−宗教と政治の視座から−」
バリ・ヒンドゥーにおける祈りの形態の現代的変容
金井美彦・月本昭男・山我哲雄編「古代イスラエル予言者の思想的世界」
考古学上から見た我が上代人の他界観
中世末期に於ける興福寺崩壊の特殊性
親鸞における個性と伝承−法然・ルターとの比較を通して−
秘義分別摂疏の著作問題
宗教の基本構造
非神話化の意想に於ける問題の所在
日蓮の「立正安国論」をめぐる問題
鈴木大拙の最後の仏教表現と古神道全否定論への疑々と点晴の試み
「御文章」についての一考察
法華義疏の特徴について
陰陽学と陰陽道−その概念規定について
ユング心理学の神学的傾向について
存在論的証明をめぐる最近の論争について
「如浄禅師語録」到来
憑物筋の伝播と村落社会の構造
「正法眼蔵抄」について−「一方を証するときは一方はくらし」の同義語
宗教的経験の顕現構造
<仏教における「神学」>の可能性を巡る一試論
親鸞における自然法爾の宗教的意義
シュライエルマッハーにおける宗教と歴史
巴利仏教の後期アビダルマの哲学的展開−NAMARUPASANASAの心心所相応論
天理教の教理伝播について−明治期の教理文書を手がかりに−
神道と「宗教」の定義をめぐって
新宗教の地方への伝播・浸透・定着過程
ラーマクリシュナ教国の法規
近代真宗の神道観
「責任の場」−親鸞と盤珪に学ぶ
「真如堂縁起」について−伊勢守貞経・貞国を中心に
日本古代の冥界説話
華厳経疏鈔の韓国流伝について
「末燈鈔」隨信房宛書簡につきて
近世初期曹洞宗における「法問」・「法門」について
周防長門の盲僧
祟りの一様相
宮谷宣史著「アウグスティヌスの神学」
堀一郎の「民間信仰」論
新宗教と「語り」−自己の権威と変容の問題をめぐって
万寿寺阿弥陀如来像の伝来について
ヤスパースの暗号思想
「民衆宗教」としてみた統一教会
信仰と美の人類学的考察−南インド・ケーララ州のテイヤム儀礼−
経験はいつ宗教的なのか
手島勲矢著「ユダヤの聖書解釈−スピノザと歴史批判の転回−」
安丸良夫・喜安朗編「戦後知の可能性−歴史・宗教・民衆」
ムスリムからの質問を契機とする“仏像”解釈の展開例
奥山倫明著「エリアーデ宗教学の展開−比較・歴史・解釈−」
イスラムにおける「自由」−近代の知識人を中心として−
清水哲郎著「パウロの言語哲学」
律令時代に於ける禰宣祝の地位
我国プロテスタントに於ける信徒構造の変遷−基督教主義教育を通じてみた一試論−
八幡信仰の二元的性格-仁聞菩薩発生をめぐる史的研究-
ハヤトロギーについて
旧約に現れたエルとエルヨーンについて
フロイドの無意識とアラヤ思想について
日蓮の世界像の原イメージ-日本神祇との関連を通して-
「イエスの方舟」会員たちが信仰の証しとして語る千石剛賢像
弘法大師における兼学綜通の精神について
サンダー・シングと新キリスト教主義ヒンドゥーイズム
「末法燈明記」考
デュルケームとフロイト−社会の臨床へのまなざし−
スピノザの神の認識について
「往生要集」における観経観
憑物筋成立因の諸解釈
「忍辱鎧訓」について
純粋経験の思想と宗教
近世における理性と信仰の概念を巡って
近世本願寺教団における民族宗教観の諸相
デカルト哲学とパスカルのキリスト教
平和主義再洗礼派における国家と宗教
純正理論における部派や論師の所説
ハワイ先住民文化復興運動における伝統宗教の再創造
ライプニッツにおける信仰理性一致論 1,
北設楽の花祭
「普及福音新教伝道会」の日本伝道について
利瑪竇の中国伝統思想への対応
マテオ・リッチとの比較を通して見た平田篤胤の穢の概念について
源信像の変遷
「正法眼蔵」における遍界について
桂泉八葉山天台寺の山法について
竺法護の「普曜経」の翻訳における韻文識別のエラーとその原因
日蓮聖人の治病観
日蓮の倫理観
新撰亀相記の肩乞祝詞
「もり供養」の寺院行事化
宗教化する政治/政治化する宗教−アメリカと日本−
アリナーノ・スアッスーナとブラジル北東部のメシアニズム運動
五教章の三性説の解釈をめぐって
外川昌彦著「ヒンドゥー女神と村落社会−インド・ベンガル地方の宗教民俗誌−」
日本における「宗教」概念の形成−井上哲次郎と狭い「宗教」
民衆宗教研究と新宗教研究

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