パンチカとハーリティーの帰仏縁起
天台宗の鬼子母神信仰
日蓮の鬼子母神信仰
日蓮における十羅刹女信仰の位置
天台教籍にみる鬼子母神
近世江戸における鬼子母神信仰−雑司ヶ谷鬼子母神を中心として−
近世文学と鬼子母神
鬼子母神信仰にみる民衆の祈りと姿
日蓮教説における鬼子母神・十羅刹女
日蓮の鬼子母神信仰
鬼子母神信仰の一般
お山詣り
中世における蔵王信仰
近世吉野山修験道について
「和州金峯山山上山下并小篠等之絵図」について
奈良餅飲町民の山上講
蔵王権現の勧請と崇敬
長岡蔵王権現の成立
雷神信仰の変遷−母の神と子の神−
観音の語義と古代印度、支那におけるその信仰について
六朝時代の観音信仰
唐代の大悲観音−ならびに本朝における千手信仰の起源について−
奈良朝の観音信仰について
平安時代における観音信仰の変質−六観音信仰の成立と展開−
解脱上人と観音信仰
能登方道仙人と十一面観音信仰
イエズス会宣教師のみた補陀落渡海
辺土仏「マリア観音」の深層
三十三間堂の楊枝浄水供
観音信仰の研究成果と課題
みろくの船
ミロク信仰の流布と機能
日本におけるメシア運動
近世弥勒信仰の一面
嵩山のミロク信仰
御霊会の成立と初期平安京の住民
わが国における怨霊信仰と「大般若経」の関係について-庶民仏教史としての一試論−
御霊信仰の成立と展開−平安京都市神への視角−
『祇園牛頭天王縁起』の成立
祇園社の御霊神的発展
御霊信仰と水神信仰
御霊信仰の成立と念仏
御霊信仰研究の成果と課題
武州御嶽の成立
御嶽信仰の成立と御嶽講
出雲鰐淵寺の蔵王信仰
御嶽信仰の研究成果と課題
妣なる山
大和のダケ信仰
竜門寺についての一考察
古代の吉野と山林修行
修験道の成立と御嶽信仰
藤原道長の経塚
金峰・大峰の遺跡と遺物
蔵王権現像と金剛童子像
稲荷社の起源
稲荷社の分祀について
稲荷縁起絵について
お塚の信仰
稲荷と狐、稲荷の絵馬
稲荷信仰の研究成果と課題
菅公と天満宮
北野神社鎮座の由来管見
平安時代の怨霊思想
『北野天神縁起絵巻』について
天神信仰の表現構造−『北野天神縁起』成立前後−
天満天神の信仰の変遷
渡唐天神思想の源流
天神信仰の遍歴
寺小屋における天満天神の信仰
北野信仰と連歌
『北野天神縁起絵巻』から『てんじん』まで
天神信仰の研究成果と課題
怨霊から御霊へ−中世的死霊観の展開−
平安時代における怨霊の思想
御霊信仰の成立と展開−信仰の支持階層を中心として−
入鹿誅戮
八幡神の発生
八幡信仰の二元的性格−仁聞菩薩発生をめぐる史的研究−
十世紀に於ける「中世的神祇」成立史の一齣
中世八幡信仰の一考察−『八幡愚童訓』の成立と性格
武士と八幡宮
八幡信仰と仏教
八幡神の習合的成長
八幡神と仏教との習合
宇佐神宮の起源と発展
石清水八幡宮創祀の背景−九世紀前後の政治動向を中心として−
八幡縁起の展開−『八幡宇佐宮託宣集』を読む−
石清水放生会の国家的位置についての一考察
八幡信仰の研究成果と課題
稲荷信仰のはじめ
稲荷信仰の歴史的展開
稲荷信仰普及の民族的基盤
稲荷信仰の浸透と民衆
江戸の稲荷
稲荷信仰の諸相
日蓮宗の稲荷信仰−池上本門寺長栄稲荷の場合−
漁村における稲荷信仰
座談会 いま、日本宗教史研究を考える
座談会 いま、日本宗教史研究を考える

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