智幢法住の仏教観と施策
洛陽福先寺の興亡と善無畏−「増脩碑記」をめぐって−
『釈摩訶衍論』における「印知邪正因縁」について
『幻化網タントラ』第五シナにおける成就法
『四天女請問』第三章「法界の積集」についての一考察
大日経の成道解釈−「魔」の用例の分析−
ミトラヨーギン著『アビサマヤ・ムクター・マーラー』所説のマンダラ
『釈摩訶衍論』論義書をめぐる諸問題
東密印信の研究 (1) -「偈頌」について-
『グフ耶経』の曼荼羅行について
唐代密教儀礼論研究−不空三蔵の密教儀礼を例として−
『弥勒菩薩偈頌玄意』における往生信仰について
シンポジウム「密教と現代社会」-オウム真理教を生み出す時代-
シンポジウム「密教と現代社会」-オウム真理教を生み出す時代-
六大説考−般若経を中心に−
『初会金剛頂経』所説の四印について
MAHASUKHAと瞑想中のSUKHA
世界を呑む
三密加持速疾顕
真言密教の凝縮としての阿字観 2-本尊-
新義・古義の分流をどう受けとめるか
新出の密教図像二点
興教大師の仏身観の系譜
慧朗七祖の問題と不空教団の動静について -不空入寂後の弟子達の行を中心として-
「金剛般若経開題」について
真言宗における安心について-長谷宝秀師の編著を中心にして-
CAKRASAMVARABHISAMAYA 研究 1 -原典資料と註釈書の書誌研究-
「金剛手潅頂タントラ」の曼荼羅について
小さき楽しみを捨てて
四国遍路と辺路修行
DHARMAKIRTI:SVAVRTTI AD PRAMANAVARTTIKA I 308-DHARMAKIRTIの言及する密教儀礼について-
鎌倉新仏教と密教−重源から叡尊へ−
新「八九浅深」考
紅頗梨色阿弥陀像をめぐって−現存作品を中心に−
興教大師の機根観の形成
高野山一石五輪塔の研究-新出の水野貞守一石五輪塔を中心として-
勧請法について−十八道念誦次第を中心として−
TRAILOKYAVIJAYA-KALPA における秘密成就法について
初会金剛頂経における微細金剛について
SARDULAKARNAVADANAにおけるSADAKSARA-VIDYA -その後代への変遷形態について-
庶民経典と密教
「仏法血脈譜」における真言の系譜
智拳印について−文献と作例から−
御手印縁起の成立年代について
仏画における結界表現の種々相
真言密教と弥勒信仰
敦煌莫高窟第四六五窟の壁画について
第九住心について
光明真言について−その原典の立場から−
SAHAJAVAJRAのDHARMAKIRTI観−インド密教における認識論論理学−
中国魚山について
女神像の図像展開と三弁宝珠
聖地の構造的複合性
法然上人行状絵図
五台山における音楽法要
近世梵字悉曇の書流について
平安時代の祈雨儀礼について
解脱上人貞慶と笠置寺
高野山大塔の五仏像について−特にその変遷を中心として−
チベット密教における潅頂儀式
『般若心経秘鍵』に引かれる二種の漢訳儀軌
供養行について
GUHYASAMAJA「XV135 に対するRATNAKARASANTI の註解
六大縁起と法界縁起
インド現存の金胎融合要素
真言宗とカトリック−十六・十七世紀における邂逅と宗論
『秘蔵記』の撰述年代について
綜芸種智院以後
チャンドラキールティと吉蔵の涅槃解釈の比較
『釈摩訶衍論応教鈔』について 1
頼瑜の加持身説に対する一考察
チベット文『父母経』とその性格
<菩薩地戒品>所説の菩薩戒に関する若干の問題
チベット語の特質について
空間の問題−弘法大師空海とM・ハイデッガー
覚鑁の思想とその現代的意義
曼荼羅の絵画的表現
弘法大師の本覚について
興教大師における金剛薩?B
私の信念
現代思想と密教的思想 知と地殻変動のなかで
有部の言語論をめぐって
略出念誦経 四巻本と六巻本
高野山の東照宮の建立 特に聖派について
「秘蔵宝鑰」にみられる「恋文」の影響
十住心思想における「世間心」の構造
「弘法大師講式」をめぐって
宗教類型の方法論 密教の位置づけへの試み
書評 高岡隆心著「中院流伝授記録」
書評 福田亮成著「般若心経秘鍵」
書評 加藤精一著「密教の仏身観」
書評 鷲尾隆輝監修「石山寺所蔵十巻抄 図像抄」
「VAJRASIKHARATANTRA」における秘密成就法について
幻化網タントラの諸尊 曼荼羅の構成尊
覚鑁上人の文学
祖師伝の律令的考察 1,2
VAIROCANAの体験と表現 1,
『般若理趣経』付加句の付加年代について
中国大足石刻の十忿怒明王像について
横竪の菩提心

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